国造り神話の静乃窟の海水で塩作り

2018年の夏はすでにビーチでの塩作りキャンプを2度も行なっており、その前に友人とも1度作っていかしまだまだ懲りずに塩を作っていて、今年通算4度目の塩作りは天候に恵まれなかったこともあり、自宅の庭で行うことにした。

実はこの8月に縁あって島根の山村の古民家を入手する運びとなり、移住することに。そこで終わりの見えない片付けや畑などをしながらボチボチ塩を作っている。

そう、塩作りはまさに現在進行形で、この文章を書いている9月3日時点で海水に火を入れ始めてからすでに一週間は経過している。

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山で塩を作る

海水からの塩の作り方は過去の記事の通りだが、今まではキャンプという限られた日程の中で行なっていたので2泊3日で200リットル以上の海水を夜なべして炊き続けていたが、今回のように自宅の庭だとその必要もない。

ビーチでキャンプしながら海水から塩を作る

初日はがっつり火を入れたが、それ以降は他の作業の合間や気が向いた時、あとは炊事の際など、気ままにやっている。日程の制限がないのは気が楽だし、なにしろ健康に良い。やはり夜なべは体にこたえる。

過去二回はキャンプしながらのビーチでの塩作りだったので、必要になるたびに海水を汲んで運んだわけだが、そのいつものポイントでは車を駐車した場所から海岸線まで砂浜の距離が長いので別の水汲みポイントを探すことにした。

大量の水を担いで砂浜を歩くのは疲れるし、しかもこの日は波が高く、海が荒れていたので砂がかなり混じってしまっていた。

そこで海水の汲みやすそうな所は無いかとグーグルマップで探して見つけたのが、いつもキャンプしている所のほど近く。というか隣。静之窟(しずのいわや)という洞窟のある海岸だった。

なんの因果か、この静之窟の目の前には塩炊き小屋があるではないか。しかもこの場所は大国主命(オオクニヌシ)が少名毘古那(スクナヒコナ)と国造りについて思案した場所だという。

静之窟と国作り

静之窟は出雲の西、島根県は大田市の静間の海岸にある海食洞で、その奥行きは驚くべきことに38mに及んでいる。残念ながら2018年8月現在は崩落の危険があるため中に入ることはできないが、その奥行きは入り口からも伺えるほどだ。

この洞窟の中央部には万葉集にある生石村主真人(おいしのすぐりまひと)が詠んだ歌の歌碑があるそうだ。

「大汝 少彦名のいましけむ 志都の岩室は 幾代経ぬらむ
(おおなむち すくなひこなのいましけむ しつのいわやは いくよへぬらむ)」

大汝(おおなむち)とは大国主命のことであり、この岩屋に仮宮を置き、少彦名命(少名毘古那::スクナヒコナ)と共に国造りの策を練ったのだそうだ。

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そして大国主は葦原中国を統治し、天照大神の子孫である天津神への国譲りまでのあいだ、出雲を中心に国を治めて行くことになる。

そんな場所で海水を汲んで塩を作ろうと言うのだから、「国造り」というキーワードが気にならないなんてことはない。

僕が新たな拠点に引っ越してそこで塩を作ろうとうことは、「生活を造る」ことそのものだし「場作り」、僕にとっての国造りとも言えるのだ。

塩作りと国造り

塩を作るには海水を炊かなくてはならない。そして海水を炊くためには燃料となる薪が必要だ。

と、言うわけで家の周囲を歩き回っては薪を拾ってくるのだ。幸い新居には広大な山林があるので薪に困るなんてことはない。

薪くらいは自分の土地でない道路沿いから拾っていったって特に問題にならないようなエリアではあるが、自分の土地の山がどのようになっているのか見るためにも、地図で敷地を確認して境界を把握しながら、自分の山を散策した。

そうすることで、

「ここは広葉樹と針葉樹の混交林となった雑木林である」とか、
「ここは杉の植林で光が入らないので間伐が必要だ」とか、
「と、言うことは、この杉で冬の薪がかなり賄えるな」とか、
「大地の再生目線でその土地の空気と水の流れがどうなっているか」と考えたりとか、
「松の立ち枯れが多いのは空気と水の流れが悪いのか、ないしは、大地の栄養が豊富であるためか」とか、
「あそこは笹が暴れているからちょっと梳いてやらないと」などと

周囲の森、山、川、原、が現状どのような状態になっているかを漠然と把握することが出来、今後どのような対策をとって行くべきか、どのようなデザインで場を作って行くかを思案するよいキッカケとなった。

こういったことは家の片付けや補修、畑づくりなどの作業に追われているとどうしても後回しになりがちである。

塩を作ることでこの土地を俯瞰的に見る機会を得ることが出来、今後の策を練ることができる。なんとまさに国造りではないか。

もちろんすべての料理の基本となる塩を作ることは生活の糧を得ることそのものでもある。

儀式的でもあり実利的でもある、そんな塩作りはまだまだ続く。なんと今回は300リットルの海水を運んできてしまったのだから。

静之窟の目の前で作った塩

前述したとおり、静之窟の目の前には塩炊き小屋があり、そこでは塩作りを体験することができるそうだ。

静間ふるさと交流クラブ 海の家 古浦

しかもここで作った塩(アラメ入りの藻塩)は販売もしている。僕の知る限り「山の駅 さんべ」で購入することができ、ここではその藻塩を使ったアイスクリームも売っている。三瓶産のアイスとの相性が抜群だ。

知らずして塩作りキャンプのスポットとして選んでいたビーチが静之窟の目と鼻の先であっただけでなく、そこで塩作り体験をして、その塩まで販売していることには驚きである。

もともとこの地は塩作りが盛んな土地であったそうだ。

いや、むしろ沿岸地域において塩作りが盛んでなかったところを探す方が難しいのではなかろうか。

海水の蒸発を促すための塩田をつくりやすい地形や、晴天率の高い地域は、より効率のよい塩作りでその名を馳せたかもしれないが、目の前に海があればどんな場所でも塩を作っていたはずだ。何しろ塩味があるだけで毎日の料理の豊かさは格段に増すものだし、敵に送るくらい必要なものだからだ。

母親に(半ば自慢気に)手作りの塩を持っていったら、子供のころ作ったことがあるという反応が帰ってきて驚いた事がある。一昔前に海沿いで育った人にとっては塩を作るなんて当たり前なのかと。しかし同時に悲しくならざるを得なかったのは、母の実家は福島の海沿いで、東日本大震災での津波はギリギリ来なかったが、原発から35kmほどしか離れていないこと。すなわち、もうこの地で塩を作ろうなんて思えないからだ。

しかしこの島根の海村のようにいまだに古き良き塩作りを伝えている場所があることは、僕にとって大いなる希望だ。塩を自給すること程、生活の基礎の基礎に根ざし、地に足のついた行為はないとさえ思っているからだ。

塩を作るということは、海とその環境に真っ向から向き合うと言うことでもある。なにせ海は全ての汚染物資が集まるところでもある。その海水を濃縮させるのだから、その水質に敏感にならないわけはない。しかも日本だけで解決できる問題でもない。

そんなマクロな環境問題に自分たちの足元から、その意識から改善をしていこうと言う気概が、塩作りには内包されていると言う気がしてならない。

そして、そんな意識改革のヒントが万葉の時代には多く転がっているようにも感じている。静間の塩のパンプレットにもあった万葉集の歌を引用してこの文章の結びとしたい。

「朝凪に 玉藻刈つつ 夕凪に 藻塩焼きつつ」

塩作りを日常に。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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