ビーチでキャンプしながら海水から塩を作る

自給というテーマは僕にとってはいつも生きることそのものを意味しているし、生きることを考える時、人間生活の基礎を支える根元的要素を無視することはできない。

それは生活にまつわる諸要素をグローバリズムのなれの果ての複雑怪奇な社会構造から、僕たちの目に見え、手の届く範囲に取り戻すということであって、簡単にいえば生きることをシンプルにするということだ。

世界の果ての人々と生命を搾取して、薬品(農薬や抗生物質)たっぷりに作られた食品を、何枚もの契約書のサインと流通網を経由してたどり着いたスーパーの商品棚から買うという行為から、

狩猟なり、採集するなり、栽培したり、ご近所さんからもらったり(あげたり)したもので食卓を彩っていく生活へシフトしていくということ

誰が獲ったか、誰が作ったか、どこから来たか。そういうエネルギーの流れがわかる生活。僕はそういうものを生活と呼びたい。

そして太平洋の北西端に浮かんだ島国たる日本において、生活の最も根元的部分を支えているのが海塩だと言っても過言ではない。体に必要なミネラルも、料理の味を決める塩味も、多湿な環境をサバイブする保存食を作るにも、塩は不可欠である。

そんな塩を海水から作る。

これは僕にとって3回目の塩作り。難しいことはない、誰にだってできる。必要なのは時間と体力と根気だけだ。

海水の作り方

とにかく煮詰める

海水を蒸発させれば塩になる。当たり前だ。

蒸発させるには塩田のように日光の力を使うか、釜で炊くかだ。

太陽光のみで塩を作る方がエネルギー効率が良いのは間違いないが、今回は2泊3日のキャンプイン。そんな時間はないので、カマドをこしらえ焚き火をして「釜炊き塩」を作る。

その作業の大半は海水をひたすら煮詰めていくことだ。

そのためには熱効率の良いカマドを作ることを怠ってはならない。今回は砂浜の上でカマドを作ることになったが、なかなか思うように石を集めることができなかったので、決して使いやすいと言えるようなカマドを作ることはできなかった。

しかし押し競饅頭のように鍋がひしめきあっているので、逃げていく排熱をかなり有効活用できていたように思う。

2泊3日のキャンプの間、火を絶やさず海水を炊き続けるのだ。夜も誰かが起きて火の番をする。

と言っても別に夜は火を消して寝たっていいのだが、できるだけ多くの塩を作りたいし、火を絶やしたり、海水が冷めると何かと面倒だからだ。

頻繁にゴミを取る

焚き火をしているわけだから、舞い上がる灰が鍋に入るのを避けるのは難しい。それに虫も海水の中に飛び込んでくる。

塩が結晶化してしまうとゴミとりは大変だし、ゴミをちゃんと取り除いておかないと塩が黒っぽくなる。

なので、何かにつけて海水の様子を見ながらかす取りを使ってゴミを取ろう。

鍋の役割

今回は3つの鍋を使っているが、それぞれに役割がある。

左が平鍋。真ん中と右が寸胴。

鍋の特性として、縦長の寸胴の方が沸騰しやすいが、サイズの割に口径が狭いので蒸発はしにくい。

一方、平鍋は沸騰効率は寸胴に劣るものの、口が広いので蒸発しやすい。

それぞれの得意分野をうまく発揮させるために、寸胴で沸騰、平鍋で煮詰めるという役割分担をするのだ。

まず火入れの際は全ての鍋に海水を満たす。

そしてそれぞれの鍋の海水が沸いてきたら、熱々の寸胴の海水を平鍋に移す。水位の減った寸胴には新たな海水を追加する。

こうすることで平鍋は常に熱い海水が供給されるので沸騰を保ち、常に効率よく蒸発を続けることができるし、寸胴は熱効率が良いので冷えた海水を入れても直ちに沸点まで引き上げることができる。

今回使った寸胴がかなり大きく、平鍋の口径と変わらないサイズであった。それでも平鍋の方が水量が少ないので温度を高く保って蒸発を促すには向いているようだ。

塩が結晶化するまではこの作業を延々に繰り返すのみだ。少量の塩で良いのなら、海水を追加投入しなければ良いし、せっかくなのでいっぱい塩を作りたければどんどん海水を追加して濃度を高めていくということになる。

海水はどこから取るべきか

海水ならどこからとっても同じだ、と言えるのは何百年前の話なのだろうか。

基本的なこととしてはビーチではなく、岩場で採水した方が良い。ビーチからだと砂の混入を避けられないからだ。とか言っておいて今回はビーチで水を汲んでいるのだが・・・(まあキャンプがビーチなので)

工場の近くや、工業廃水が多い河川の河口付近も避けたい。

海岸沿いの松の防風林に松枯れ対策としてネオニコチノイド系農薬の空中散布をしていることがあるので、その後なんかは避けたい。

原発の近くも避けたい。隠蔽体質の原子力村ではいつ何が起こっていてもおかしくないから。これを機にグーグルマップで日本のどこに原発があるか見ておくと良いと思う。

残念ながら原発事故の影響の色濃い東北の海は避けるべき。

じゃあ日本海はどうなのかというと、最近起きた韓国の原発事故のニュースもあるし、今年のはじめのタンカー事故もあるし、日々の汚染もあるし。さらにはプラスチックはどこにでも浮遊している始末なので、そもそも安全な海が存在するのかさえ怪しい時代になってしまっている。

韓国原発で重水漏出、29人が放射能に被ばく

東シナ海タンカー事故によるオイル漂着調査

太平洋ゴミベルトに浮かぶプラスチックゴミは少なくとも7万9千トン

塩を作るということは、僕たち人間が海の懐の広さに甘んじ続けてきた歴史をまざまざと見せ付けられる行為であるとも言える。そして、その塩を食べるという行為は、その人間社会が生み出した悲しみを全身で受け止めるようなものかもしれない。

Life is hard、生きるだけで大変な世の中だ。だけれども、僕たちは視野を広げてマクロな環境問題を見やる必要があるだろう。人間の欲望は土地に海に、所有や領土の境界を設定するまでに至ったが、そんな物理的ボーダーは実際にはどこにも存在ない。

山の汚染は川や地下水を辿って海に達するし、日本の海洋汚染は太平洋に撒き散らされるし、アジアの海の汚染は日本にもやってくる。もちろん汚染された魚も海を駆け巡る。大きな魚に生体濃縮される。海は世界中繋がっている。そんなこと誰でも知っている。少しくらい、僕や私くらい、日本くらいいいだろうでは済まない時代にしなければならない。

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安全で美味い塩を食べさせてくれ。これ以上、海に甘えるのはやめてくれ。

塩作りとはこのような叫びの具現化であるとも言える。少なくとも僕にとっては。

このくらいにして話を実践に戻そう。

ついに塩を取り出す

2泊3日のビーチでのキャンプインの間、炊き続けた海水がついに塩になってきた。

灼熱のビーチで火を焚き続けるのは確かに過酷だけれども、暑くてうんざりした時に海に飛び込むのは最高だ。

海の近くに住んでいたら熱い時間帯は毎日のように泳ぎに行くだろう。と思った端から少し悲しくなったのは、かつて日本中の河川が汚染物質と無縁だった時代は、いつだって川に飛び込んで暑さをやり過ごすことができたのだろうから。

気候のダイナミズムの影響を考えなかったのしても、コンクリートで覆われ、車の廃棄やエアコンの室外機などでヒートアイランド化した上に、川が汚れて入れもしないなんて、そんなの暑くて不快に決まっているじゃないか。

そんなことを頭に巡らせながらも、美しいサンセットに癒され、

満点の星空と天の川に我々が宇宙の一員であることを改めて考えさせられ、

純真無垢な朝に迎えられ、心あらわれた。

夜なべの疲労も眠気も吹き飛ぶほどに、自然が見せるアートは神々しい。

本題の塩はというと、海水が煮詰まりに煮詰まってとろみを増し、色もだいぶ白濁している。

鍋底から掬い取るとこのように塩が析出している。

海水の塩分濃度は3.4%くらい。塩分濃度とは言うが、塩化ナトリウム以外にも多様なミネラルがこの3.4%に含まれている。その内訳は以下の通りだ。

塩化ナトリウム 77.9 %
塩化マグネシウム 9.6 %
硫酸マグネシウム 6.1 %
硫酸カルシウム 4.0 %
塩化カリウム 2.1 %
その他
(wikipediaより)

海水を煮詰めて塩分濃度が約13%に達するとまずはカルシウム分が析出してくる。白くて塩のようだが舐めてみても塩辛くない。

そのままさらに濃度を上げて約20%ほどでやっとナトリウム分が固まり始め、しょっぱくなってくる。本当は何度かナトリウムが固まるまで煮詰めていたのだが、そこに海水を投入して濃度を下げるとまたナトリウムは溶け込んでいくのだ。

そしてもっと煮詰めて27-28%くらいになるとカリウムとマグネシウム分が析出して来る。さらに蒸発を続けると苦味が強くなってしまうので、塩分濃度が30%位で塩の引き上げを終えるようにする。なぜ苦いって、マグネシウムは苦汁(ニガリ)の成分だからだ。

もちろん正確に塩分濃度30%なんてわかりっこないのだが、取り出した塩の味見をすれば、どんどん煮詰め、塩を引き上げていくほどに苦味を増していくのがわかる。だから前半に取り出した塩と、後半に取り出した塩を分けて保管するのも良いだろう。後半は苦身の強い塩になる。前半と後半を混ぜて均一にしてしまうのも手だ。

こうして取り出した塩は、サラシに包んで水を切り、

ブンブンと振り回してさらに水分を飛ばす。飛んでいく水分は苦汁だ。

水分を切った塩はさらに乾燥させなければならない。それは水気の多い塩は空気中の水分を吸い込んで再び液化してしまうからだ。湿度の多い室内では神棚にお供えした塩が溶けてしまう。これがわかりやすい例えなのかどうかは不明。

好天が続くようだったら天日の力のみで乾かすことも可能だ。ただし、昼は外に、夜は室内に退避、と手塩にかける必要がある。湿度の多いところに放置してしまうことがあれば、液体に戻ってしまう覚悟をしなければならない。

そのようなリスクを考えると、鍋で塩を炒ってしまうのが手取り早い。今まで塩を炊き続けてきたわけだから熾火には事欠かないのだから、エネルギーを有効利用できる。むしろ焚き火の直火で塩を炒ると灰が鍋の中に入るのを避けるのは難しいので、熾火が最高なのだ。

かくして出来上がった塩は、3.5kg。使用した海水は200リットル位だろうか。

伯方の塩なら1kg150円で買えてしまう、、、が、そこと比較できない。何たって旨味が違う。かといって高級な塩でも1kg2000円位で買えるから、今回の成果は7000円分の塩と言うことになるわけだが、もちろんそんな安直な数字の計算ほど無意味なものはない。

先に述べたように、マクロな環境意識を養うことはもちろん、普段当たり前に使っている塩を自給するという行為そのものに、僕たちがこの近代的生活で忘れてしまっている「日々の何気無い生活のありがたさ」を感じずにはいられない。

海水を煮詰めたら塩が出来ることくらい常識だ。本当か?ほとんどの人はその塩作りにどのくらいのエネルギーが注がれているかは知らない。

敵に塩を送ることがいかに寛大な行為かということが、
神棚に塩を捧げることの意味の一つの側面が、

塩を作るとわかる。

そして、なんでもかんでも一家で自給自足することは効率が良いわけではないことがよくわかる。塩は塩屋がまとめて作るのがいい。やはり大量生産が向いている業態はあるのだ。複数人が束になることで一人ではできないことが出来るようになる。それがコミュニティーの力だろう。

しかし同じ大量生産でも、コミュニティー内でやるのか、大企業に任せてしまうのかでは全く意味が違う。大企業に任せる現在のようなグローバル社会では、コミュニティーの力は養われない。それぞれが協力しなくたって、一人でスーパーに行けばなんでも揃う個人技に戻ってしまうからだ。しかもその個人技は、塩を作る能動的な個人技ではなく、ただ買い求めるだけの受動的な個人技である。

コミュニティーの自給能力を高めるということ。これは地産地消や地域通貨といったキーワードが目指すものだろうし、その能力の高まりは、人と人との繋がりが強固になったことを意味するはずだ。

同じ野菜なら友達の農家から買おう。そんな当たり前の感覚が地域の経済を回すことになる。そんな新しくも懐かしい貨幣の動きを取り戻すことが、住みよい社会を作ることになるのだと思う。

塩を作って考える人との結びつきの重要性。

敵と味方を結びつける塩。
塩の道を通って海と山を結びつける塩。
おにぎりとなって結ばれる塩。
僕たちの体の中で生命を結ぶ塩。

命を媒介する塩に改めて感謝しながら、この文章の結びとすることにしよう。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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