『放射能計測マップ+読み解き集』を読んで思い出す原発事故後7年と今後

市民たちが自主的に立ち上がって東日本の土壌の放射線濃度を計測、蓄積している「みんなのデータサイト」がこれまで集めてきたデータと知見を書籍化するために立ち上げたクラウドファンドは多くの支持とともに目標達成となり、我が家にもその書籍『放射能測定マップ+読み解き集』が届いた。

慣れたくなくても慣れてしまうのが人間というものだろうか、7年という歳月は確実に僕の放射能に対する意識を風化させてきていると自戒を込めて思う。これは人が混沌の時代をすり抜けて生きる能力であると同時に欠陥でもある。放射能だけが解決すべき問題でもないし、課題は常に降りかかってくるわけだから、人間の思考として仕方のない部分でもあろう。しかし、だからといって放射能の問題を避けることが、放射能からの防御には全く効果がないのは事実である。

だからこそ、今回の書籍などに触れることによって、僕なりに放射能汚染をリマインドして、かつ、未来に向けた知見をアップデートするようにしている。僕たちは非常用備蓄を定期的に保守管理すると同様に、情報についても最新版を脳みそにダウンロードしておくべきであろう。

今回の書籍のお陰で、この原発事故後7年を個人的に振り返ることができ、汚染された日本に生きることの意味を再確認したのはもちろん、原発がある以上これからだって起き得る原発事故に対する心構えを新たにすることができた。

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原発事故が奪っていった里山の暮らし

この本を読むのは本当に疲れた。なにしろ、読み進めるほどに悲しみがこみ上げるのを避けられなかったのはもちろん、現にこれからも放射能汚染の影響下で暮らすことを余儀なくされている絶望感みたいなものを感じたからだ。僕たち人間は自分たちの手で、この世界をなんと住みづらくしてしまったのか。

特に自然との共生のなかに生きる人ほどその影響は大きいであろうことは、山からは多くの恵みが得られる一方、それらは放射能を蓄積しやすい上に、除染すらされないエリアであるということである。

キノコや山菜は特に放射性物質を貯めやすい特性があるし、汚染された森で育ったイノシシや鹿などの野生動物からも高濃度の放射性物質が検出されている。

僕は現在、島根に住んでいるからこれら山の恩恵に預かって暮らすことが出来ているが、東日本で里山と密接に関わって暮らしてきた人たちは、山の豊潤との繋がりを断ち切られてしまったということになる。

僕の母親は福島の浜通り出身で、原発から35kmほどのところに田舎があるが、事故から1年近く経った頃であろうか、僕の叔父さんがNHKニュースに映ってインタビューに応えていて驚いた。それは僕の記憶の叔父さんとは別人に見えるほどにやつれていたからである。

叔父さんの家は海に近かったこともあり、津波にやられて住めなくなってしまった。時代に先駆けて田舎で賃貸住まいだったのは幸いだったのだろうが、僕の想像では問題はそこではなく、キノコや山菜が食べられなくなったことにあるのではないかと想像している。

というのは、僕にとっての叔父さんは山の恵みに詳しいワイルドな人だったからである。僕は田舎で食べたり東京に送られて来る、アミダケやタラノメ、コシアブラなどが大好きであった。そういえば人生で一番うまいワサビも叔父さんと採った。しかし原発事故がそれらを全て奪っていった。事故以来、叔父さんはだいぶ神経質になったらしい。

忘れられがちな木材の汚染とその焼却灰

『放射能測定マップ』を読んでもっとも衝撃を受けたことの一つは、薪は燃やして灰になると放射線量が200倍になるということである。

我が家の調理と暖房は囲炉裏で行なっているから、薪と灰の話には敏感にならざるを得ない。そうか、東日本だと僕にとっては当たり前となっている薪暮らしすら安心して行うことができないということである。

先月11月頭に、福島で販売されていたとち餅から基準値を超える放射性物質が検出されたとのニュースがあったが、その原因となったのは、栃の実でも餅米でもなく、栃の実の灰汁抜きにつかった新潟産の灰にあったとのことである。(因みにこのニュースのNHKのリンクは削除されているが、ツイッターなどで検索可能だ)

残念ながら東日本では木を迂闊に燃やさないほうがよい。薪の状態なら良くても、前述したとおり、灰になれば線量は200倍になる。廃材を燃料にする人は、その木の出所に敏感であるべきだ。無垢の木ならなんでも燃やしたくなるが、燃やしても放射能はなかったことには出来ない。

そして、灰を吸い込まないなんて難しい。灰の掃除の時には宙に舞うし、ときには燃焼が上手く行かなくて煙と共に吸い込むことだってあろう。僕みたいな囲炉裏ユーザーにとっては灰が汚れているなんてもってのほかであるから、焚付けだって杉の葉っぱを使って紙などは使用しない。

しかし、避けなければいけないのは東日本の木材だけではない。北欧材が原料につかわれていたと思われるペレット燃料から基準値越えの放射能が検出されているからだ。同じ原発事故でもこちらはチェルノブイリ原発事故だ。だとすると、北欧などからやって来る建材のホワイトウッドも怪しいかもしれない。2×4などに使われる安価な木材であるが、このホワイトウッドの端材などを薪として利用するのは考えた方がよいかもしれない。廃材は良く燃えるから燃やしたくなるのはわかるのだが。

未だに残る福島原発事故以前の放射能汚染

たった今ちらっと触れたが、もちろん見過ごせない。

そうなのだ、チェルノブイリ原発事故の影響だって当然残っている。さらには20世紀に幾度となく行われてきた核実験による放射能の影響だって未だに残っているのだ。だから福島の事故の影響もまだまだ続くということになる。

セシウムの名前は聞き慣れただろうが、セシウムには2種類あることは知っておかなくてはならない。または思い出して欲しい。

セシウム134は半減期は2年であるから、311から7年経った今、福島原発事故由来のものは10%ほどしか残っていないし、チェルノブイリ由来はほとんどなくなっている。しかし、セシウム137の半減期は30年もあるから、そのほとんどが残っているし、その影響力が半分になるのにもあと23年かかる。事故直後はセシウム134の急速な減少で放射線量は減って行くが、これからは137が居座るからなかなか下がらない。

だから1986年に起きたチェルノブイリの事故の影響だって当然まだまだのこっているのである。生態系や地形などの影響で放射性物質は物理的に移動するので生活圏からは減少していく傾向にあるが、それは無くなったというより、海などに移動したと言った方が適切であろう。それに、局地的にホットスポットとして溜まってしまうところもある。旧江戸川河口のセシウム濃度は上昇を続けているという研究結果もある。

さて、福島の事故の前の放射能のことについて話を戻すと、日本でも福島原発事故由来でない基準値越えのキノコなんかが発見されている。福島の事故はセシウム134と137が一対一の割合で放出されたから、その半減期による減少曲線と照らし合わせてセシウム137の割合が高ければ、福島由来でないということ、すなわち、チェルノブイリ原発事故や核実験の影響であることがわかる。

おいおい、だったら西日本だって楽観視できないではないか!ということになる。福島以前の汚染については富士山周辺などでその影響が色濃いなど、局地的であるようである。が、当然日本中くまなく調査されたわけではないからどこかにホットスポットが潜んでいることだって考えられる。残念ながら僕たちはそういう時代を生きているのだ。核技術はまさに人類にとってのパンドラの箱だったのであろう。

僕もまるで知らなかったし、多くの人が知らされていないのだろうが、1950年代あたりの日本の放射線濃度は核実験の影響でかなり高い。福島などを除けば今よりもよっぽど高い。どれだけの人がこれによって身体的影響を得たかはもはや知るよしもないが、こんなサバイバル上の問題すら取り扱わない教育を教育といって良いのだろうか。いや、残念ながら自らの命を守るために必要な情報を手に入れるところからサバイバルが始まっているのが、この不透明なメディアと政府を要するこの国での生き方なのであろう。

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だから、最初から国を信用して任せ切ってしまうことが間違っているのである。国は僕たちの集合体でしかないのだから、僕たちが国を作る意識を持つ必要がある。サバイバルのためにも。

東日本の汚染状況

国家が言うことが正しいとは限らないのは当たり前で、そうでなければ各国家の放射能汚染の安全基準はそれなりに似通ったものになるだろう。そもそも正しいとはなんのことか。自然法則を除けば正しさなど個人的な尺度でしかない。

原発の敷地内では100ベクレル以上の汚染物質がドラム缶に入れられて管理されるのに、食品の安全基準が100ベクレルである。まともな感性を持った人なら、これだけで意味がわからない。

また、以前の記事でも取り上げたが、国連人権理事会が日本の放射能の避難基準である年間20mシーベルトについて苦言を呈しているのだが、日本政府はその正当性を主張している。しかし日本が根拠としているのは、事故直後などの非常事態における安全基準であって、現在のように事態が落ち着いてからのものとは話が違う。

放射能汚染すらなかったことにする「正常性バイアス」のこと

チェルノブイリの基準と比較するとその異常さがわかる。彼の地においては、年間1mシーベルトを越えれば移住権が発生するし、それ以下でも土壌ベクレルが高ければ何らかの保証を得る権利がある。5mシーベルトを越えれば強制的に移住させられる。そんな地域に日本政府は帰還を促している。

この話は福島だけのものでは無い。例えば東京都においてだって事故直後はチェルノブイリでは何らかの保証を得る権利があるレベルに汚染された地域があった。だから東日本にはそんな土地がゴロゴロあったのだ。

放射能測定マップのデータを蓄積している「みんなのデータサイト」を見てみると、東京の北東部は土壌ベクレルが高いのがわかる。その地域は僕の出身地であり、いまも実家がある。

これは興味のある人が自分自身で確認してもらいたいので、具体的な名称は記さないが、僕が5年ほど前にランニングコースとしていた公園の土壌放射能の値が記録されている。その数値はなかなか高い。その公園は近くの河川敷と接続しているので、23区にありながら緑溢れるアーバントレイルを走り抜けることができるお気に入りのコースだった。公園は広く、林間の土の上を縦横無尽に移動すれば、トレイルランさながらの疾走感なのだ。僕もホットスポットの上を踏みしめていたのだろうか。

事故後1年の福島を訪れた話

そして地図を北に向けるともちろん福島の汚染レベルははるかに高い。僕の母親の実家は前述した通り、原発から35kmほどのところにある。母親はなんども足を伸ばしているが、僕は一度だけ事故から1年経ったゴールデンウィークに一人でその地を訪れている。

原発事故のインパクトのせいで福島の津波被害についてはあまり語られていなかったように記憶しているが、海岸線沿いは見るも無残だったし、母方の実家のあたりは海から100m以上は更地になっていた。実家は波の音が聞こえる距離にあるが、幸い津波の被害はそこまでは及んでいなかった。

あたりでは除染の真っ只中。国道を走る大型バスには虚ろな目の作業員。国道沿いの飲食店を含めた建物は原発関連企業の基地となり、僕の幼少期の記憶にあった公園を発見したので入ろうとすると、そこも原発企業に借り上げられていた。

ボツボツ歩いて当時の立ち入り禁止エリアである原発から30kmのボーダーにたどり着く。これ以上は立ち入り禁止。その向こうにはサッカー日本代表の練習で使われるJビレッジ。昔行ったことがある。トルシエカレーたるものが売っていた。そのボーダーから引き返そうと思ったら、道路脇に白虎隊の名が刻まれた石碑があった。確か。その時思った。ああ、東北は戊辰戦争でも敗れ、原発事故でも当事者となったのかと。そして古くは蝦夷地としても敗れている。

僕はこの旅では河川敷の高架下で野宿した。山歩きをして野営慣れする前のことだったので、装備のことは何も知らず、サバイバルシートに身をくるんで寒い夜を過ごした。5月と言えど東北の夜は寒い。除染をしていないエリアであるから無謀なやり方なのはわかっているが、それが僕なりのあの事故への理解の仕方でもあった。まあどうせ宿は作業員で埋め尽くされているし、僕はお金がなかったし。

ほぼ眠れない夜を開けると周りの景色が見えてきた。河川敷には夜についたから周りの様子が見えていなかった。海からその高架下まで300mはあるのだが、河川敷の森は津波でズタズタになり、瓦礫で溢れていた。そして被害は高架下で終わっていた。その後、ビーチで寝転がってぼーっとした。そこには瓦礫の山が点々としていて処理されるのを待っていた。汚染されているからすぐには手がつけられなかったのであろう。そこに散歩のおじさんがやってきた。僕のことを死んでいるのではと思って驚いたと言った。毎朝このビーチを散歩するという。ラジオを聞きながらでないと散歩できなくなったよと言って涙ぐんでいた。

ビーチを歩いていると、子供の頃に遊んだ記憶のある場所が、河口の形状が変わったために陸の孤島になっていた。その先は瓦礫も整理されていなかった。僕は川を渡渉してみることにした。多分事故後にこのエリアに足を踏み入れたのは僕が最初だろう。ビーチ沿いの岸壁に小さな社があるのを見つけた。こんなのあったっけ。近づいて見るとお札が倒れていたので起こしてやった。虫が下から這い出した。

社の裏には岸壁に登るような階段が設けてあった。登って見ると階段は途中でなくなっていた。津波で破壊されたのだった。空に向かって階段は切れていた。津波の勢いは一本のひょろっと伸びた松の前で止まっていた。ここは安寿と厨子王の安寿姫が身売りされた後になんとか逃げ出したものの命を落としたという悲しき伝説の残る場所であると後で知った。

社を後にすると強烈な腐敗臭が鼻をついた。死体が放置されているのではと怖くなりながらも、恐る恐る近づくと大型の犬が死んでいた。1年以上も放置されているものの、海水の影響なのか、割と綺麗だった。口の周囲が腐って歯がむき出しになっていたのは良く覚えている。その場では僕にはどうすることもできなかったが、のちに行政に電話をして、弔ってもらうようにお願いしている。その一件だけで、僕は福島に行ったかいがあったなと思ったものである。

ビーチから当時の30kmの境界の方を眺めていると鳥たちがその境を自由に横断していた。何者にも縛られない奔放さに心が明るくなった。と同時に、この鳥たちのように放射能の影響には県境も国境もないということを改めて気付かされたものだった。

放射能時代を生き抜くために

昔話が長くなってしまった。

しかし、このような大事な気持ちを思い出させてくれた『1放射能測定マップ+読み解き集』とその書籍化の重大な任務を背負ってくれたみんなのデータサイトには感謝の気持ちでいっぱいである。

忘れてはならないのは、これは過去を記した本ではなく、現在、そして未来の話である。原発事故は少しづつ忘れ去られ、伊方原発はすでに再稼働を決定したし、我が家からそう遠くない島根原発は再稼働を目指すと同時に、新規原発も作っている。

県庁から10km!30km圏内に39万人が住む島根原発を訪ねて

僕たちは過去の過ちを簡単に繰り返してしまうのだろうか。それとも歴史を学んで未来に生かすのか。もし後者の道を行くのであれば、ウクライナでは体内の被ばく線量が、事故の10年後に再び上昇しているのを覚えておいたほうがいい。それは人々が放射能の存在に慣れてしまい、食事に対する意識が低下してしまったことを示している。原発事故は現在の話なのだ。

最後に、僕は各行政が、土砂崩れや洪水などのハザードマップに加えて、原発事故のハザードマップを作成することを希望する。原発があるなら事故は隣り合わせだ。が、行政がやらないなら、僕たち自身で知っておかなくてはならない。事故が起きたら遠くに逃げるか、室内へ。水道水は控え、雨に当たるな。思い出した、僕は事故後の最初の雨の東京でびしょ濡れになりながら自転車を漕いでいた。それではダメだ。

僕は福島事故以前に放射能の知識がまるでなかった。確かに学校も社会も大したことは教えてくれなかったが、結局は僕のサバイバルの意識の問題だったと思っている。しかし、僕らは福島を経験したのだからそれを活かす以外にはない。失敗にはいつも教訓が詰まっているし、失敗以上にイノベーションを加速させるものもないと僕は思う。社会としても、個人としても。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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『放射能計測マップ+読み解き集』を読んで思い出す原発事故後7年と今後” に 2 件のコメント

  1. はじめまして。
    みんなのデータサイト・事務局長の小山と申します。
    熟読頂き、またこのようにご紹介と感想を書いて頂きまして、本当にありがとうございます!!
    メンバーがたまたま「ドロアシワークス」さんを拝見し、スタッフ内でリンクを回したところ、皆から素晴らしい文章なので、データサイトのFBで紹介したいという意見があがっております。
    紹介させて頂いても、よろしいでしょうか?

    1. 小山様

      コメントありがとうございます。直接メールをさせて頂きましたので、ご覧ください。よろしくお願いいたします。

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