『お金2.0』を読んで考える『お金0.0』的経済システム

仕込んだ干し柿700個

田舎での生活はこれまでもしてきたけれども、百姓的な暮らし、すなわち菜園だったり、大工仕事だったり、山仕事だったりを生活の中心に据え始めたのは今年になってからである。今までは勤めをしていたので、生活の中心は労働にならざるを得なかった。

このような暮らしをして痛切に思うことは、お金との距離感が決定的に変わったことである。もともとそんなにお金を使わないのに、百姓的暮らしが深みを増していくほどに、お金を使う場所や機会がさらに減っていく。

別に自給自足をテーマにしているわけではないけれども、暮らしの要素を幸福ベースで選んでいくと、結果的に自給力が上がってくる。

畑や山からは食べ物がとれるし、キッチンや暖房に使う燃料は薪でまかなう。家の改修や敷地の整備だってよっぽどのことじゃない限り自分でやる。

おまけにご近所さんから余剰の食べ物をいただけたりもするものだから、買い出しのために街に出る頻度がどんどん少なくなっていって、1週間近く家の敷地内から出なかったりすることすらある。

お金がないと困る部分ももちろんある。今の僕には車のガソリンは必要だし、行政への支払いだってある。しかしお金が今までと同じ重要性を持たなくなってきた。個人的なお金の需要が落ちてきた。

ただでさえ興味が薄かったのに、こんなにお金への執着がなくなってきて良いのだろうかと思うこともあり、そもそもお金ってなんだというところが気になって、ちょうどkindleのおすすめに出てきた、佐藤航陽さんの『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』を読んでみた。

そこにはシェアリングエコノミーや仮想通貨、AIに代表されるテクノロジーなどを通じた新しい経済のビジョンが明快に示されている。あまりお金について考えてこなかったこともあり、多くを学ぶことができたと同時に、僕の頭の中では

「お金0.0」

というワードが読みながらチラチラと現れてきた。

「お金2.0」や「お金1.0」よりも時代遅れな価値観としてではなく、「お金2.0」的世界が準備されてきたからこそ生まれ得る「お金0.0」。

現代のテクノロジーとそれによって得られる世界中に張り巡らされた情報網の恩恵の下で、資本主義到来以前のお金に依らない経済活動の可能性を探ってみたいのである。

だから「お金0.0」

お金の前、お金いらず。

これはあくまで一つの経済レイヤーであって、現行の国家経済とも共存可能であることは先に述べておこう。

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自然界という経済圏

『お金2.0』の中では発展的で持続的な経済システムが必要とする諸要素がわかりやすくまとめられている。僕はそれを読み進める間、僕が現在送っている自然の法に則した、百姓的暮らしのシステムと重ねずにはいられなかった。なるほど、百姓暮らしがその諸要素を踏まえているじゃないかと。

すると佐藤氏はこう言うではないか

「経済が自然に似ていたからこそ、資本主義がここまで広く普及した」

やはりそうだ。

だから、この自然を模したシステムを持つ集合体や経済圏でないと淘汰されてしまうのであると。
フェイスブックやグーグルなど、現在成功を収めている企業はあまねくこれらの諸要素から外れていないと。

そこで僕が思ったのは、ならば、自然界を模すのではなく、自然界そのものを経済の中心に据えてみてはどうかと言うことであった。

この自然界そのものが中心となる経済が他と違うのは、その経済システムの構成員の中に、人以外にも動植物、地水火風、無機物、太陽系などが作る、生態系そのものも含まれることを提案したい。

エコシステム(生態系)をエコノミックシステム(経済システム)と一体化させる。

エネルギーが中心となる経済

さて、人間の生命活動の根本である衣食住を支えるのはエネルギーである。

食べ物、衣服、住居、燃料などなど。

世間一般においてそれはお金を媒介して獲得されるが、百姓的暮らしではそれらは自らの土地から、自分たちで手に入れることができる。資材や道具などお金を使いもするが、必要度が高いのは時間と体力の方であろう。

「里山資本主義」なんて言葉も同タイトルの書籍によって流行ったが、むしろ今まで体に染み付いたお金思考はいったん取り除きたい。資本を中心に置いたら、結局は現行システムの枠組みにがんじがらめになってしまうのではないかと思っている。

それに里山の恵みを資本化しても大したお金にならない。これで儲けようと思っても、結局大規模農業や林業のように工業的にならざるを得ないし、そこには再び労働が舞い戻ってくる。だからここではエネルギーをお金に換えないままに使うことを考えたい。

畑で採れた野菜、野山でつんだ山菜やキノコは食を支えるエネルギーとなる。

伐り出してきた薪は料理にも使うし、暖房にも使うので食と住を支えると同時に、体温をあげると言う意味では衣食住の衣と言ってもいい。住と衣は生命エネルギーの保存には不可欠である。

森を再生して生活環境を整えることも、生命と精神を育むわけだから、僕たちの命に大きく寄与する立派なエネルギーとなる。カロリーだけがエネルギーじゃない。健康であることはエネルギーの大きな節約になる。清涼な空気、澄み切った水がかけがえがないのは皆の知るところだ。

衣服を素材そのものから作るのはなかなかレベルが高いが、最近は中古で良質のものが手に入るからそれくらいは買っても良い。先ほども述べたとおり、「お金0.0」はあくまで一つの経済レイヤーであるから、今までの暮らしと共存可能である。

都会のベランダで家庭菜園をするのだってそう。今までの暮らしに新たなレイヤーを追加する。

また、環境に優しい商品をチョイスすることは、既存の経済と、「お金0.0」のハイブリッドといえよう。これもレイヤーの追加と言える。

そもそもお金というものはエネルギーを数値化したものとも言える。

労働によって費やしたエネルギーの対価としてそれを媒介するお金を獲得する。そのお金は、また誰かの労働というエネルギーのために支払われる。残念なことに、労働の種類によってお金の価値が違うので、ものすごいエネルギーを消費してもあまりお金にならないなんてこともある。

また、一度お金を経由してしまうと、そのエネルギーの価値は減じてしまう。お金にはあらゆる仲介者のエネルギーが介入する。お国の税金だってその一つだ。

その仲介を省いて、自ら費やしたエネルギーをそのまんまエネルギーとして自らの生命活動に利用すれば効率が良い。

買うと高価な作物だって、売ったら二束三文にしかならない。だったら、自家消費するか、誰かにあげてしまった方が、よっぽど効率が良いケースがほとんどだ。与えるほどに与えられるのはもはや自然の法則であるとも言える。これは協力経済と呼んでも良いかもしれない。

また、光や熱が必要だったら、いちいち熱エネルギーを変換した電気ではなくて、その元である火のまま使うほうが効率が良い。

一方、冷蔵庫みたいに、熱エネルギーのままではどうにもならない道具は電気を使えば良い。

火の得意分野は火に。電気の得意分野は電気に。という単純な話である。不得意なことは効率が悪い。右手には右手の、左手には左手の役割がある。

人も人で得意分野を交換し合う。自然も人もその本領を発揮できる分野において、他者に貢献するという協力経済。お金を媒介することなく。

『お金0.0』の世界はあなたの参加を待っている

現在の農山村の状況は決して明るくない。

住む人を失った家が無数に存在する。都会への人口流出はとどまるところを知らない。僕の暮らす集落も、僕を除けば次に若い人がもう70代なのである。

だから家はかなり安価に手に入る。100万円以下の家だっていっぱいあれば、タダ同然で譲ってくれるケースも珍しくない。もはやお礼金を貰えるなんて話も聞く。賃貸だったら1万や2万で借りれられるのが普通である。

それで、野菜の自家消費分を栽培して、周りの人からお裾分けを頂いて、薪ストーブを導入して、なんて暮らしを始めたら、都会で自らの貧困に喘いでいる人たちは、今までの暮らしがなんだったのだろうかと驚くはずである。都会より給料は少ないだろうが、生活費が格段に低い。努力次第ではもっと低くできる。しかも昨今はUIターンの助成金もたくさんある。子育てや医療へのサポートが充実している。そして生活の質は高い。水も空気も飯もうまい。

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しかもこの世界は引く手数多である。なにせ人材がいない。都会で居場所がなくて悩んでいるなら、田舎に来てはどうだろうか。ここでは誰でもいるだけで必要とされる存在であるし、ニーズは無限にある。

貧困を決めるのはお金ではなく、暮らし方である。だから考え方一つで貧困は終わらせることができるのかもしれない。

お金で貧困が決まるなら、僕はまさに貧困だ。でも貧しいなんて一つも思っていない。むしろ、毎日贅沢な暮らしをさせてもらっている。

その理由は、この『お金0.0』の世界が生態系の助けを借りていることに他ならない。

生態系なしに世界は成り立たない

それらエネルギーを得るためには、生態系の助けが不可欠である。

生態系が不健全ならば、必要とする食べ物はおろか、まともな水も空気も得ることはできない。

だから生態系を構成員とすることは、お金不要な経済には必須な条件である。彼らの力を借りることで初めて、お金のない経済圏を回すことができるのだ。

例えば野菜を作るのには、水と空気と太陽と、土と土壌微生物と、天気、気候を含めた環境と、虫や動物たちからの防御と、タネに保存された遺伝子という名の情報と、、、と無数の自然的要素が必要となる。

人ができるのはそのサポートでしかない。大根の種から白菜を育てることは不可能だ。しかし人の助けが生態系の働きと相乗効果を生み出すことで、その力を最大化することできる。

生態系そのものがシェアで回っている

現在の一つの潮流となっている経済体系が余剰のシェアであろうと思う。

Airbnbやシェアサイクル、シェアカー、UBER、など、誰かが物を占有して自分のものとしてだけ使うだけでなく、その物が持つ能力の余剰を多くの人に分け合う仕組みが広く普及し始めてきた。

それはその物に蓄積されたエネルギーを最大限利用する試みとも言える。そういう意味では、不要物の再利用を促す、メルカリやジモティーなどのサービスも同様の理念を持っているし、電子書籍だってデジタルデータを図書館のように貸し出してシェアしているようなものだ。

これらのサービスにはどこにも中央が存在しない。従って今までの企業や国などが担っていた仲介者の存在が決定的に薄くなっており、個人間のやり取りを軽くサポートする程度の仕組みである。

まさしく生態系の中の営みそのものである。

生態系を織りなす全ての構成員の個々の能力を最大限共有することによって、健全な環境が保たれている。指示するものは誰もいない。無政府だが、完璧なのだ。無数の違いをやり過ごしながら、システムを作り上げている。協力経済である。

僕たちの食べ物も、燃料も、これらの力を無視しては得ることができないものだ。

だから同じ経済圏を作る生態系という仲間を守るのは当然の行為だし、それによって僕たちは彼らの助けの元、僕らの生活環境を向上させることができる。

例えば生態系を無視すれば農薬の使用は許容されるかもしれないが、生態系が経済に必要な要素であれば、オーガニックを推進するのは当たり前になる。さもなければ生態系が密接に関わった経済は持続可能性を簡単に失ってしまう。そうなってしまえば、僕たちはその恵みを享受できない。

生態系は壊すのは一瞬だが、作るのには何百年もの時間を要する。

そんな繊細なものを、後の世代のことも考えずに破壊するような行為は、経済システムの発展を阻害することに他ならない。

そんな世界は僕たちの健康を通して生命を脅かす。

健康など気にしないで薬に頼るなんて人も多いだろうが、そんな薬の開発に熱帯雨林に暮らす虫や微生物などの薬効成分が注目されていると知ったらどうだろうか。

もっとも幻想に程遠い共同幻想

人々が団結するのは同じ幻想を共有するからであるとは、『サピエンス全史』が世界中に知らしめた通りであり、『お金2.0』でも持続的な経済システムに必須な要素として挙げられている。

国家も、思想も、通貨も、企業も、ブランドも、何一つ実態はなく、信ずべき根拠だって存在しない。ただ、その構成員が同じ信念を抱いているというだけで、全く知らない個人間が団結して集団を作り上げているのだ。

家族のような血の繋がりもなければ、顔を合わせたこともないのに、一つの国旗の下、団結して戦争だってできる。その国は倫理的かもしないし、非人道的かもしれない。それでも団結しうる。まさに幻想である。

その共同幻想を生態系に当てはめてみるとどうだろう。

生態系なんてどうでもいいから人間優先で良いのだという意見も当然あるから、生態系の最適化を主軸に置いた経済には必ずしも全ての人が賛同する訳ではない。だから、これも一つの共同幻想と言えるだろう。

しかし、それを大事にしようがしまいが、生態系の無限と張り巡らされるネットワークの存在無しには、僕たちの生活すら成り立たないのは、幻想ではない。僕たちの意識がインターネットにでも入らない限り、水も空気も食べ物も必要だ。人間が便宜上作り出した、国家や、企業、貨幣、といったものと、この世界を世界たらしめる生態系とはその幻想の度合いは比べられるものではない。

しかしその生態系が破壊されて続けている現在、それらの健全性を回復したときに僕たちが享受しうる豊かさというものはもはや一つの楽園のようなものであって、頭ではわかっていても、未体験のものと言える。そんな楽園的世界を現実化しようという点が共通のビジョンだし、共同幻想とも言い得る。

テクノロジーが可能にする共通のビジョン

そんなビジョンを抱くことができうる大きな要因に、昨今のテクノロジーの発展を無視することはできない。ここまで世界中の情報が簡単に手に入るようにならなければ、生態系に対する関心は今のように大きくならないだろう。

1年前ではマイクロプラスチックの問題など、一部の人しか知らなかったが、それがSNSを通して世界中を駆け巡り、マスメディアも企業も国家も無視できないほどのなったのは、情報テクノロジーの力なくしてはありえない。

生態系は風が吹けば桶屋が儲かるという具合に、無限の要素が網の目のように絡み合って成立している。大雑把に言えば、山の荒廃は、海の健康を脅かす。

そんなことは頭ではわかっていてもこれまではピンとこなかったかもしれないが、情報のコモディティ化によって地球の向こう側の世界情勢が、自国の経済や政策に即座に影響を及ぼす様を目の当たりにする現在においては、そんな生態系のダイナミックさも理解しやすいのではないだろうか。

それに世界中に同じ志を持った仲間の存在を簡単に知れるようになった今、ローカリゼーションは地理の範囲を超えて、意識の世界にまで拡張している。そのネットワークを通して、今までは書物に当たるしかなかったようなノウハウが簡単に共有されるようにもなった。

そこに世界中の成功体験というストーリーが駆け巡ることで、僕たちは新しい変化の可能性を感じ取る。あの国にはあんな実績があるぞと。僕がブログを書いているのも、小さいながらもストーリーの力を信用しているからに他ならない。

このストーリーこそ共同幻想のパワーの源だ。ストーリーが人を集め、団結させて、その経済圏を強固なものにする。

だから1人でもこの経済の構成員は多い方がいい。

僕たちは、一人一人の力が、生態系を健全化することを知っているから。

そしてそれによって僕たち生態系の構成員が享受できる自然の恵みはさらに大きくなると知っているから。

考えてみると、これは「お金0.0」でありながら、「百姓2.0」でもあるなとか思ったり。

そんなことをグルグルと思い浮かべながら、今日も山を手入れしたり、薪を割ったりして、家の補修に勤しんでいるのである。まとまりのない文章、失礼しました。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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『お金2.0』を読んで考える『お金0.0』的経済システム” に 2 件のコメント

  1. 翼の書く内容と文章は自分自身では補完出来ずにそれが原因で心のある場所に長らくうずくまっていた感情や感覚に非常に高い確率で届く。

    これまでのブログ(全部はまだ読めてないが)もそうやったけど、特に今回のブログはピンポイントで届いた。

    自分が今まで囚われてきた得体の知れない焦りや恐怖感が炙り出てその正体がなんなのか、その答え合わせができ自分が望んでいることはナニか、それを踏まえてどこに進みたいのか、今回のブログはそういうことを改めて認識させてくれた。

    感謝。

    これからも楽しみにしてる!

    1. 表現しにくい、言語化しにくい感覚を、いかに文章に落とし込めるかというのを最近のテーマにしてまして、自分でもまとまりに欠ける部分も多いなと思いながらも、その文章にピンと来る人が何人かでもいればな、という想いで書いてます。感じるものがあったとのこと、励みになります。より明快な表現ができるように精進を重ねます!

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