山村の古民家の片付けから予見するプラスチック文明のその先(私見)

8月の中旬から始めた古民家の片付けは9月の中旬になっても尚も続いている。その後の改修のことも考えると終わりは一向に見えないのだが、確実に住み良くなっていることは確かである。

通常は片付けと改修、少なくとも片付けは済んでから住み始めるのが一般的なのかもしれないが、僕はその前にサッサと移り住んでしまった。なにしろ家のロケーションが最高なわけで、極上の眺めを独占することができるのだから、片付けが途中であるかなんてどうだってよい。荷物は納屋などに寄せればなんとでもなる。

片付けが進む程にその快適さが増していくのもまたなんとも楽しい。まだまだやる事山積で、作業が全く進んでいないと感じて唖然とすることもあるけれど、数日前を振り返って比較すると部屋は確実に整然さを獲得しているのを実感して安心するのだ。

快適になっているのは確実だ。なにせ、この記事を書いている9月24日現在ですでに軽トラの荷台を5回も満載にするほどのゴミを出している。既に記事にしたが、農薬ゴミも別途だした。そしてまだまだゴミはでる。以前の住人の荷物の多くが残されているのだ。

あまりの物の量に圧倒されることもしばしばだが、かつての山村や農村の暮らしであれば多かれ少なかれ似たようなものなのかもしれない。いや、一般的な都会暮らしの家だって家財道具一式を集めれば、よくもこんなに物を溜め込んだものだと愕然とするのではと思う。

しかしこの片付けを通して特に気になっているのが表題にもあるプラスチック製のゴミたちである。これらが非常な悪さをしているのである。

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朽ち果てるプラスチック

この家に最後に人が住んでいたのは6年も前のこと。

その間、置き去りにされていたこともあろうし、それまでの使用と保管による経年劣化もあろう、プラスチックなどの石油製品が劣化してボロボロになっているものが多く見られるのだ。

タライやバケツ、ゴミ箱、収納ケースなどは劣化して割れている。

靴の表面はボロボロになっており、スニーカーのソールも剥がれている。

水のホースはベタベタになっている上、使っていると水圧で裂ける。

買い物袋やゴミ袋は簡単に破れる。

ブルーシートなども朽ちてボロボロと欠けらが舞う。

土囊袋やコンバイン袋もボソボソ千切れ落ちて大変だ。

アクリル製の毛布は毛がどんどん抜け落ちる。

雨具やスキーウェアなどはベタベタで着られたものではない。

最悪なのはアクリルのカーペットで、少し動かすだけで大量の埃が舞う。

その埃とは最近話題のマイクロプラスチックそのものである。

劣化したプラケースなんかからもたくさんプラスチック埃が出ていることだろう。表面はざらついている。地面には割れたプラスチック片も沢山転がっている。

きっと作業の過程で沢山吸い込んでしまっているに違いない。そう気づいてからは横着せずにマスクをつけるようにしている。

海のマイクロプラスチックでも問題視されているが、プラスチックは微細になると当然表面積が広がり、汚染物質を良く吸着するようになるから、一層気を付けないといけない。

散らばるプラスチックと犬猫の健康

プラスチックのクズは掃除を何かと大変なものに変える。

家の埃を掃き出したり、家の周囲を箒ではいているときも、それが土埃や落ち葉、木屑、ちょっとした紙の切れ端くらいなら気にせず庭にだしてしまうのだが、プラスチックが混ざっているとそれが出来ない。

拾い上げてはゴミ袋に入れる。

ものすごく大量にあるわけではないが掃除の効率を著しく下げる。

しかし考えてみると微粒なマイクロプラスチックの埃は家にも庭にも沢山積もっているのかもしれない。見えないからと安心しているだけかもしれない。

うちには犬猫がいるので彼らの健康への影響も気になるところである。彼らは当たり前だが顔が地面に近いし、普段から何処にだって寝転ぶ。なんだって口に入れる。きっと悪いものを沢山吸い込んでしまっているはずだ。

そもそも犬なんかはプラスチック製品が異常に好きである。ゴミ箱をひっくり返してはガリガリプラスチック容器を噛んだりしている。特に仔犬はひどい。

絶妙な硬さと、破壊できるという要素が楽しくて仕方ないのかもしれないが、プラスチック片が散らばるのも嫌だし、彼らの健康も気になる。なんで犬のおもちゃの多くが石油製品で出来ているのか僕には理解できない。まあ、耐久性を考えてのことなのだろうが。

挙げ句の果てにはかつての住人の野焼きの跡地からドロドロに溶けて固まった黒焦げのプラスチックの塊まで拾ってきてガリガリと噛んだりする始末。

野焼きでなんでも燃やした跡や、敷地内の雑木林へのゴミの投棄は田舎の家では良くあることだ。昔の価値観はそれが普通だったのだと納得する以外はなかなか受け入れられない。他にもやることが多い中でなかなかそれらの掃除は後回し、もとい、見て見ぬ振りをしないと始まらないのだが、犬のことを考えるとそれも掃除しないといけないのかもしれない。

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プラスチック文明の成れの果て

劣化してボロボロになったプラスチックゴミを見ていると、昨今のマイクロプラスチック問題と重なり、プラスチック文明、そして大量消費文化がもたらした負の側面を見せつけられるような思いである。

まるで美容整形を施した美女の顔が脆くも崩れ去っていくイメージを彷彿とさせる。美容整形は英語でプラスチック・サージェリーと言うからまさにだ。

プラスチック製品が時の試練を耐えられない一方で、陶器や竹かご、木製家具、ホーローのキッチン用品、い草の畳、漆喰、土壁などが使用感に溢れながらもなお美しいのとは対照的である。

この「プラスチック製品は朽ちてボロボロになる」と言う事実は、プラ製品は必要なだけ保有してしっかりと使い倒す必要がある事を教えてくれる。

それは、無尽蔵に湧き出る(ように思われる)石油を原料にすることと、その整形のしやすさによって、生活にまつわるあらゆる製品を素早く大量に生産することを可能にしたプラスチック革命に反するかもしれない。

しかし、大事に取っておいたらいつか役に立つ、と言うわけではないのがプラスチック製品であることをスニーカーのコレクターが教えてくれる。自慢のコレクションが5年10年もするとソールは剥がれ、内側はベタベタになって履ける代物ではなくなってしまうのだ。

その点においてはプラスチック製品は大切なことを教えてくれている。それは物を大事にするということは、使わずに箱に入れて取っておくことではなく、道具そのものとしてしっかり使うということだ。そんな生活は、余計なものを排除し、シンプルな暮らしを提供してくれる。

その時、プラスチックは大量生産大量消費の象徴から、軽くて丈夫な新素材としての本来の役割を取り戻すのだ。乗り物やガジェットをより小型で、より軽量で、より強靭なものとするのに、プラスチックがもたらした功績は大きい。

これまでの話を覆すようだが、プラスチック製品でも長く使えてしっかりしたものはある。使い捨ての袋やパッケージのようなものばかりではない。この古民家に残されたものでも、ブルーシートは使い物にならなくても、軽トラの幌はまだまだ使える状態を保っている。

より良いクオリティで、よりミニマルに

要は、良いものを大事に使おう、というありきたりな話にたどり着く。

そして時代はそちらの方に向かっている。

今では、音楽も、本も、映画も、ストリーミングやダウンロードの時代だし、仕事効率化のツールも、余暇のゲームもアプリなわけだから、物への依存は無くなる一方だ。ファッション業界が下火なのも当たり前の時代の流れと言える。自己顕示欲がSNSで満たせるというのもある。

それでもこれらを動作させるデバイスはもちろん、カバンや食器など、アナログでないとならないものは持っている必要があろう。ホテル暮らしや外食オンリーなら食器もいらない。iPhoneだけで仕事できるならカバンも要らなくなってしまうが…

このような時代だから、所有すべきアナログの質が高まるのは必然ではないかと思う。いや、高まるべきだ。そして安物の壊れやすいもの、安価なプラスチック製品などは自然淘汰されていくというのは希望的観測だろうか。

僕は、デジタル依存率が高い若い世代ほど、所有するアナログのクオリティが総体的に高いのではとも推察している。物に埋もれている人が物の本当の価値と通じ合うのは難しいと思う。ミニマルな暮らしは人に物への主導権を与えるが、物が多いとそれらに生活が支配されてしまう。

使い捨てを過去の物に

これは使い捨て文化には終わりを告げるということでもある。昨今のマイクロプラスチック問題はこの悪しき文化の終焉に大きく貢献するだろう。それにしても、いつだって取り返しがつかないくらい問題が大きくならないと変化への舵が切られないのは悲しい。

しかし、舵を切るだけ素晴らしいのも事実。なにせ使い捨てプラスチックの問題に日本は取り残されている。欧米諸国と違って。

ヨーロッパのスーパーではプラスチック包装を使っていない商品の売り場を設けたりもしているし、欧米の量り売り文化の成熟度は眼を見張るものがある。それに引きかえ、日本では、野菜だって殆どがすでに袋に入っているし、小包装の煎餅なんかには閉口する。

裏を返すとそこに日本の未来における活路があると感じている。世界のスタンダードをしっかり満たし、さらにはそれに先んじるような動きをした企業や自治体が今後を生き残っていくように思う。そういった団体は社会や環境に対して健全で、自浄能力が機能していることを意味するからだ。

この国は外国人観光客が多い場所なのに、英語表記がなく、現金決済しかできない、なんてことが未だにある。変化に頑なで自浄能力がないことを物語っている。しかしこんな日本の腰の重さに足並みを揃えていては共倒れだから、個人も企業も自治体もサッサと次世代とそれ以降を見越して変化していく必要があるだろう。

多分、その頭抜け出した者と、置いていかれた者の間に、

大量生産大量消費

使い捨て

物質(物欲)依存

旧態依存

などが横たわっていて、それを使い捨てや、安物のプラスチックが可視化するのだと思う。

言い換えると、使い捨てと安価なプラスチックが消えた先にやっと日本の未来が見える。未来が見えた時には他国にどうしようもないほど取り残されていないと良いのだが、気づいた人から先に行ってしまのうのが良い。それが日本全体を引っ張っていくことになることを願って。

と、自戒を込めて。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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