古民家の片付けで出た鉄クズを売ってみる(資源についての余談付き)

物の多めの家族一個分の荷物が残置された古民家に引っ越してきてもう2ヶ月になろうとしている。つい先日、いままで放置していた箇所にも片付けの手を入れたので、ついに、やっと、この家の全貌を把握することができた。長かった。

この2ヶ月の新居での生活で、この家での暮らしをどのようにデザインすべきかも落とし込まれてきた。パーマカルチャーのセオリー的にはデザイン構築前の1年間の周辺環境の観察を理想としているが、それはあくまでも理想。さしてどこも行かずに片付けに集中していたのだからこの2ヶ月は濃密である。ただの仕分けの要素が大きかったこれまでの片付けが、次第に整理の性格を帯び始めてくる。残すものと処分するものの選択もより明確になった。

これまでに軽トラなみなみ6杯のゴミを出しただけあって捨てるものはなくなってきた。が、今度は鉄クズがたくさんあるのだ。軽トラの7杯目は鉄くずで埋め尽くされた。

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鉄は貴重な金属資源

いままではお金を出して廃棄していたが、鉄くずは売れる。

そういえば高校の時の初めてのバイトは近所で電気工を営んでいた人の手伝いで、夏休みの間にとある小学校の照明を全て取り替えたのだが、その時、空いた時間にはネジの一つまで金属を仕分けることで、休憩中の飲み物とお茶受けの費用を捻出していた。そんなに高くはないが、チリも積もればそれなりになるのだろう。空き缶の回収で暮らしを立てる人がいるくらいだ。

いわゆる資源ゴミと言われるものは売れるものだ。紙もまとめてなら売れる。だいたい「ゴミ」に「資源」とついているのがおかしい。資源がゴミであるはずがないのだから。そういえば、東京スカイツリーが出来た時に、ホームレスが資源ゴミを持っていくのを規制していた。それは区の財産であるからと。まあ、観光産業栄えるスカイツリー周辺からホームレスを駆逐しようというのが本音なのだろうけど。

そもそもの話が、使い終わったら何にも役に立たない「ゴミ」と呼ばれるものが生み出されるようになったのは近代以降だと言える。なにせ有機物は土に帰るし、金属などは再利用が当たり前だからだ。屎尿を堆肥としていた江戸時代においては、長屋のトイレの汚物の所有権は管理人にあったらしい。これが高く売れるのだ。嗚呼、ゴミとは文明の産物なのだ。

リサイクル業者に鉄クズを持ち込む

鉄をお金に変えるには、自分で業者まで運ばなければならない。自宅まで取りに来てもらうと無料引き取りになってしまう。都心部ではそうはならないかもしれないが、田舎では足代ということで相殺されてしまう。トラックへの積み込みや移動の手間はかからないが、なんだか勿体無い。以前岡山で無料で持っていってもらった時はなんだか悔しかった。

今のシチュエーションでは、どうせゴミだってトラックに詰め込んで持ち込んでいるのだから、鉄くずを持ち込むのだって苦ではない。調べてみると、車で1時間のところに鉄くず回収のリサイクル業者があった。出雲市の端っこだ。これで何かと出雲に行く言い訳になる。鉄くずを回収しているところは全国どこにでもあるので、Googleで調べてみると、それなりに近くに見つかると思う。

僕が利用した業者はこちら

有限会社ヒラオカ

「地球に優しいリサイクルを合言葉に」という社訓がホームページに記載されている。回収されたスクラップも綺麗に整理して積まれていて気持ちがよかった。いい会社である。

いくらになるのか

僕が鉄くずを持っていったヒラオカさんは鉄くず1kgあたり19円であった。

10kg190円。100kgで1900円だ。

軽トラ山積みのゴミを捨てると軽めの物が大半であったとしても100kgくらいはいくものである。ならば鉄ならなかなかの重さになるはずだ。業者によってはもっと高く売れるところもある。

また、鉄くず屋さんは大体非鉄金属の買取も行っている。アルミや銅、ステンレスなど、金属ならなんでも売れる。鉄と混ぜてしまうと、全て鉄の買取価格になってしまうが、アルミ、銅などと仕分けすれば、鉄より高い値段で売れる。一円硬貨はアルミ、5円硬貨は真鍮、10円硬貨は青銅、100円と500円硬貨は白銅、その中に鉄はない。鉄は安いのだ。まあ硬貨の場合は元々の価値を正確に反映しているわけではないけれど。どうせお札は紙だし。

電気コードは中身が銅なので、これは結構高く売れる。出雲のヒラオカさんでは1kg140円の銅線(被覆)として売れた。ありがたいことにこの家は驚くほど大量の電気コードで溢れていた。電化製品から切り取ったコードが取っておいてあるのだ。確かに繋げれば使える。以前の家人はなんでも自分で直すことができる人であったのだろう。

折角元からたくさんあるので、不要な電化製品を捨てるときも、いちいちケーブルをハサミで切って分けておいた。結局今回持っていった電気コードはペール缶に8個分にもなった。

取っておいてあるのは電気コードだけではない。鉄の類はもう山のようにある。あらゆるものを分解した金属部は全て保存してあるくらいの量である。農機具のパーツ。各種エンジン類。足踏みミシンの足は何台分あるかわからない。確かに機械に詳しかったり、溶接を駆使できる人には貴重な材料資源だ。トラクターの爪なんかからでもナイフが作れるだろうし。しかしそんなことを言って取っておいたら何にも片付かないので、基本的には全て処分することにする。実際、日の目をみるのを待つ間に錆で覆われているではないか。

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錆びていても鉄は買い取ってくれる。だからボロボロになって砕けてしまう前に資源として循環してもらうのが良い。と思う。なんだか使わない資源を溜め込んでおくのは、金持ちが使わないお金を銀行に溜め込んでおくのと似ているような気がする。滞っている感じ。血行不良。ダムみたいだ。

鉄くず売却の成果

そんなわけでこの度買い取ってもらったのは

鉄くず(スクラップ)が280kgで5320円
銅線(被覆)が43kgで6020円

合計で11340円にもなった。なかなかすごい。片付け報酬としては悪くない。現在進行形でバラしている2つで1トン越えの巨大な米の乾燥機もあることだし、今後もお小遣いにも期待できそうだ。

確かに機械などをバラすのは結構時間を要するし、仕訳をしておくのも手間がかかる。少しなら許容されるが、プラスチック部分などが多い場合はしっかり取り外さなければならない。

非鉄金属がいっぱいあればそれも仕分けしておけば高単価で売れるが、僕の場合は基本が鉄だったから、ごちゃ混ぜのままにした。分けるのも手間だし。前述の通り、分けなければ鉄と同じ値段で売れる。

電気コードはいわゆる電源コード以外にも、オーディオのケーブルなど、銅が入っていればなんでも良い。

それにしても荷物の量が300kgを超えると流石に車が重くて坂道を上がるのはノロノロだ。多分あと5回くらい運びださないといけない。それくらい金属類が多い。

(余談)たたらの町の鉄くずリサイクル

出雲といえばたたら製鉄が有名だ。

たたら製鉄といえば「もののけ姫」を思い出す。実は最近久しぶりに見て改めて感動した。

これまで「もののけ姫」について残っていた記憶といえばあの屋久島を舞台とした美しい森が大半を占めていたが、今回視聴して、製鉄が象徴する地球環境への影響を無視した人間本位の文明と搾取が生態系を破壊している図式にハッとさせられた。

鉄製品なんてそこら中にあふれているので、当たり前過ぎて忘れているが、大地を削って得ているものである。鉄に限らず、そんな「当たり前の資源」の搾取が多かれ少なかれ当たり前に生態系を破壊している。物質の余剰に直面しながら片付けに明け暮れているタイミングだったので、資源についてまた違う側面から考える良いきっかけとなった。

原子力やプラスチック、農薬、石油なんかが現在の特別な環境的関心ごとかもしれないが、それはかつて大きく問題となっていた、ダイオキシンや環境ホルモン、水銀など重金属の問題がなくなったわけではないし、当たり前に使われている鉱物を採掘することによる環境的影響が取るに足らないものであるというわけではない。

問題がなくなったというより、人々が慣れたり、知らなくなったり、知らされなくなったり、メディアに騒がれなくなったというのが本当のところだろう。原発事故の影響も時が経つと慣れてくる。人が慣れてきたのを良いことに、再稼働の波が押し寄せる。

人間文明もここまでくると鉄のような当たり前の資源の採掘なんてチッポケな環境破壊かもしれない。もう世界中傷跡だらけである。

しかしグローバルで見たら小さな問題かもしれないが、ローカルで見るとそうとはならない。資源が湧き出ればそこに大企業がやって来て先住民は生活の場が奪われていくかもしれない。ダムができれば小さな集落が湖の中に沈むかもしれない。「風の谷のナウシカ」でも風の谷の森が焼き払われた時、これまで集落を潤わせてきた水資源への影響を嘆いたではないか。まあそんなものは小さな村がひとつ潰れるくらいだから良いのだろう。そういう世界らしい。結局、俯瞰で見たときには、全体主義が世界を覆っているようだ。経済発展と言う名の元の。

ならば銀河系単位で見たら地球が滅びたってなんてことはない。大したことはない。だから地球なんてどうなっても良い。いやいや、そういうわけにはいかないだろう。

そんなことを考えながら辺りを見渡すと、物質、物質、物質で嫌気がさしてくる。これらがどこから来て、どこに行くのかに想いを馳せる。僕たちは地球の恩恵をいっぱいに受けて生きている。現代社会において、地球に恩を仇で返すことなく生きていけるのだろうかと思う。循環型社会とはよく言うが、名ばかりである場合が多いような印象を受ける。

「もののけ姫」では人間の森への搾取と横暴は、エミシの民のアシタカ(故郷の人たちはアイヌモチーフの格好をしている)と、屋久島がモチーフとなった森で育ったサンによって救われる。力によってではなく対話によって。人間社会が突き進んできた、生態系への影響を軽んじる行きすぎた発展への抑止力となるのは、縄文的な自然に寄り添った生き方ではなかろうか。宮崎監督がそのようなメッセージを映画に込めたのではないかと僕は考えている。

そういうメッセージとして受け取ったのは僕がそう希望しているだけだからかもしれない。しかし間違っても懐古主義的になるべきではないのは百も承知だ。過去の発展の恩恵を受けて、僕はノコノコと古民家を片付けながら、こんな記事を書いている。縄文に戻るのではなく、縄文を思い出す、といったところだろうか。未来は現在が作るように、現在は過去によって出来ている。だから縄文は現在であるし、未来でもあるのだ。

もののけ姫は文明と自然との調和を、森と人との双方がうまく行く道を探るかたちでエンディングを迎える。

僕たちの社会ではその調和がどの程度達成されているだろうか。そもそもそんなものを目指すこと自体がナイーブと思えることも多いし、確実に調和に向けて改善をしていると思えることもある。

帰り道、鉄くず屋さんのすぐ近くにある雄大な岩肌に目を奪われた。その麓で森林組合が営業をしていた。断崖絶壁ゆえではあるが、人の手の入っていない野性と人間の営みとが隣り合わせで共存している風景がそこにはあった。

後になって調べると、この岩は鞍掛岩という。名前しか関係ないのだけれど、宮沢賢治の「くらかけの雪」を思い出さずにはいられず、詩集「春と修羅」に収録されているその詩に改めて目を通してみた。

たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝(くす)んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母(かうぼ)のふうの
朧(おぼ)ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風(こふう)な信仰です)
― 誌集 春と修羅 より ―

美しい岩肌と文明との共存に
鞍掛岩にのぞみを託してみましょうか
それが一つの古風な信仰であろうとも

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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古民家の片付けで出た鉄クズを売ってみる(資源についての余談付き)” に 2 件のコメント

  1. はじまして
    〝鉄屑〝で 検索していたら、こちらの ブログにたどり着来ました。
    他の記事も 拝見させて 頂き、共感する部分が沢山ありました。
    野宿遍路 回帰の25では、化学物質過敏症の 女性の事が書かれていましたが、私も 軽い化学物質過敏症でしすので そう!そう!と思いながら読ませていただきました。いま、fecebookの方で、柔軟剤の香りや、農薬などの 日本の現状などの 記事を書いたり シェアしたりしています。もし 差し支えなければ 記事の内容をfecebookで シェアする事は可能でしょうか?
    回答は 急ぎませんので、宜しくお願いします。

    1. コメント、そして記事を色々読んでいただきありがとうございます。
      シェアはいくらでも歓迎ですので、どうぞよろしくお願いします。

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