
拾ったのと伐採した丸太
早々にコンポストトイレを完成させて汚物を資源として循環させたい。水洗トイレを卒業したい。そんな逸る気持ちを胸に抱きつつも、現実としてはトイレ小屋を作る木材を調達するところから始めねばならない。前回の記事で宣言した通り、素材も工法も限りなく持続可能な方法を模索していく。

実にタイミングの良いことに、この冬の終わり頃に集落の伐採があった。日当たりと見通しの確保を目的に道路ぎわの木々が切り倒されたままになっている。自由に持って行って良いと聞いていたので物色してみると、小屋作りに使えそうな丸太があった。
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土台は栗の木
この小屋作りは掘っ立て工法の採用を予定しているが、そのために僕が求めていた木材は栗の木だ。幸運なことにこの伐採跡地には栗の木が転がっていた。
栗は非常に堅いだけでなく、湿気や虫にも強く、腐りにくい。まさに掘っ立て小屋の基礎として土中に埋め込むに、これ以上の木材はない。
縄文時代に見られる竪穴式住居や高床式倉庫などの掘っ立て建築でも栗の木が使われており、驚くべきことに青森県に位置する三内丸山遺跡からは直径1メートルの栗の木の柱が6本も出土している。縄文時代から今の今まで腐らずにその形を保っているのは驚きとしか言いようがない。
しかも栗は防腐処理すら必要としないようで、昔の鉄道の枕木は栗を無処理のまま使用していた。そんなに良い木材なんだから、当然古民家にはよく使われていたようだ。しかし杉やヒノキと違い素直な形に成長しないのが広葉樹である栗だ。いくら良い材だと言っても機械化された大量生産時代の昨今には扱いにくいのもわかる。
早速切り出して持って帰ろうと思ったが、栗の良さでもある堅さと重さが作業の進行を妨げる。最初は後でなんとでもなるように長い材で持ち帰ろうと思ったがそれでは重すぎるので、運べる長さに切り出した。幸運だったのは直径 15cm位の丸太が玉切りされて転がっていたこと。これは基礎と土台に使えそうだ。
さらには太めの枝もとりあえず何本か拾っておいた。まあ、材が足りなくなったらまた取りに来れば良いのだ。
もしかして栗じゃない?
拾ってきた材をずっと栗だと思って、すでに土台作りに突入しているのだが(記事が追いついていない)、実は栗じゃないんじゃないかという疑念が生まれた。
というのは別の日に雑木林の整備を行っていたところ、栗だと思って取り付いた木に明らかに栗でない葉がついていたのだ。これは明らかにナラの葉だ。ということはコレはコナラの木ではないだろうか。樹木に詳しいわけではないが、登山をしていた経験から、ナラはナラでもミズナラの特徴を覚えていたのだ。
その場でiPhoneにて画像検索してみると栗とコナラの樹皮は非常に似ている。この文章を書いていながら、まだコレといった判別の仕方を理解できていないほどだ。
葉を見れば判別は容易だが、伐採された状態では栗とコナラを見分けるのは難しくなるようだ。当然個体差もあり、その土地の環境に応じてコナラに似た栗や、栗に似たコナラなんてのもある。
それでも特徴があり、コナラは栗より樹皮が分厚い。拾ってきた木は皮がそこそこ分厚かった。
コナラは芯材が茶褐色だが、栗は芯材と辺材の色の区別がなく白っぽい。拾ってきた木は区別がなく白っぽい。
コナラは切り屑が甘い香りがするが、栗はしない。ノコギリを入れているときは気づかないが、ノミを入れているときは確かにほんのり甘い芳香が漂ってくる。
コナラは栗より重いし堅いようだが、コレは比較できないのでわからない。少なくとも拾ってきた木は重いし堅いのではあるが。
なんだか拾ってきたのはコナラのような気がしてきた。いや、栗とコナラが混ざっている可能性もある。建材としての栗の利点をフルに生かした掘っ立て建築にすべく意気揚々と施工に入ったがなんということだろう。
しかし、恒久的な建物を作りたいわけではないので、栗だろうがコナラだろうが良いか。それに伊勢神宮はヒノキの掘っ立てだし、近所には杉の掘っ立て電柱があるし。栗じゃなきゃいけないなんてことはないだろう。
しかし文章を書いていく以上、この木を栗と読んでいくことにしよう。毎回栗(又はコナラ)などと書くのは面倒なので。
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柱はやはり杉か

一本だけ試しに皮を向いている
さて、栗は重すぎるのもそうだが、柱にするには素直な材が見当たらなかった。木材にする前提で育てられた訳でもないから仕方がない。そもそもが広葉樹であるから針葉樹のようには行かないのは当然だが。
しかし柱にするにちょうど良い材があったらあったでその重さに耐えて運び出す羽目になっただろうからよかったことにする。栗の柱をそのまま掘っ立てることも考えたが、基礎だけ掘っ立てて、柱はその上に立てることにしよう。
伐採跡地を眺めると適当な太さの杉が転がっていたので、二本の杉から2m30cmほどの長さの丸太を二本づつ、計四本切り出した。一本の杉から二本とるのだから当然太さが違う。建物の柱は太さが一緒でないといけないとは限らないはずだ。それぞれが適切な耐久性を備えていれば良いだろう。

手前が拾った杉。奥が僕が伐採して皮をむいた杉。
まあ、倒木を物色するのが面倒なだけで、探せば均一な太さの杉を見つけられたかもしれないが、積み重なるように木が切り倒されている現場なだけに、あまり深入りするのも難儀なのだ。なので、これも運命とか出会い、というのを言い訳にする。
そもそもが究極に理想の材なんて探し出したら、見つかりっこなくなってしまう。逆にいうとそれぞれの違いが天然素材の魅力のはずだ。「あるもので」どうにかする精神をここにも広げて行きたいと思う。
伐採と機械
以上の伐採跡地は500m位離れたところにある。前回の記事で機械は基本的に使わないと述べているが、ここで軽トラを使っている。軽トラに積めるのだから、人力で運べなくもない重さではある。が、それでは流石に集落で変な噂が立ってしまう。一日仕事になって、体をボロボロに酷使することは言うまでもなく。こうやって人の妥協は始まるので、車だけにしたいところ。車は日常でも使っているからどっちみち言い訳できない。
そうなってくるとこの木はチェーンソーで伐採されたものでもある。僕が切ったわけではないが。人に機械で切らせれば使っていいのかと言う話になると、コレは難しい問いである。
僕は機械を使いたくないから、チェーンソーで切ってくれ。と頼むことは無論ない。だったら自分でチェーンソーを使ったほうがマシだ。しかし、こうやって切られて放置されているものも有効に使いたいじゃないか。
チェーンソーはチェーンの回転の際に潤滑油となるオイルを吹き出し続けている。日本の森の中で年間ドラム缶2万本相当のオイルを撒き散らしているそうだ。コレが気になって僕はノコギリの技術(と体力)を磨いているといってもいい。
最近は生分解性のある植物由来のチェーンオイルもあるので、使用する人は一考してみてほしい。僕も将来的にはソーラー充電した充電式チェーンソーに環境に優しいチェーンオイルを使って使用することを考えている。
まあ、あまり径の太い木でなければ、ノコギリでもそんなに苦ではない。むしろ軽くて取り周りがよいし、狭いところや斜面でも安全性が高いし、給油もいらず、メンテナンスは楽だ。そして良い筋トレになる。燃料は石油由来でなく、少し多めのご飯くらいだ。
人力にこだわるコンセプトについては前回の記事を読んでもらいたい。

敷地の目の前の雑木林の間伐
さて、前述の伐採跡地からはまた木材を拾ってくることもあろう。そうでなければ朽ちるに任せるだけになる。しかしもっと効率的な木材入手方法を考えるとやはり敷地の目の前の雑木林があるじゃないか。
その森は隣人の土地ではあるのだが管理に手が回っておらず、間引く程度なら伐採しても良いと言う。実際、道路脇は蔦が縦横無尽に絡まって、倒木が空中でぶら下がっているなど手入れが必要な状態だ。
この林の間伐から杉や松などを手に入れることができている。梁には昔から強度のある松が良いと言うので、そうしてみよう。
廃材の利用
さらに幸運なことに地元の建築屋さんから建築廃材をもらうことができた。他にも廃材をもらえるところがあるし、こういったルートを見つけやすいのは田舎の利点だ。

貰った建築廃材。ダンプから降ろして貰ったところ。
僕たちはゴミを出す時代に終わりを告げなくてなならない。もらった廃材も捨てれば産業廃棄物。しかし、まだ資源として再利用できる余地がいくらでも残っている。しっかりした材は建材に、割れてしまっている材だって薪として燃料になる。
コンポストトイレでやろうとしていることもそれだ。汚物をゴミとするでなく、資源として循環させる。汚物、堆肥、畑、食料と廻り続ける貴重な資源だ。今はその資源を大量廃棄している状態なのである。
資源を知れば何がゴミかがわかる。使い捨てのプラスチックはゴミだ。一方、土に還る有機物は堆肥化して再利用すべきなのだ。石油を使って焼却処分をせずに。
そのためにこのトイレを作っている。
次回からは実際のトイレ小屋作りに突入していくことになる。
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