【あるもんで建築】1.はじめに 〜コンポストトイレを小屋から持続可能な方法で作る

2018年も早いもので5月に入り、暦の上では夏を迎えた。僕のいる広島県の山間部は昼夜の気温差が10~15度にもなっており、油断すると体調を崩してしまいそうな日が続いている。

そんなな5月上旬よりかねてより計画していたトイレ作りを始めている。トイレと言っても下水道に繋がる一般的な水洗トイレではなく、自己完結型のバケツ型コンポストトイレだ。文字通りバケツに用をたすトイレ。始めに断っておくが、臭くない。

建設予定地。整地をして穴を掘り始めている。隣はコンポスト。

このサイトにおいて日記的、現在進行形的な記事をあげようとは思っていなかったが、備忘録にもなるし、モチベーションを保つのにも役立つし、脳内の整理もできるので、トイレ作りの内容を(ほぼ)リアルタイムで掲載していこうと思う。ブログっぽい(すでに幾つかの行程を済ませてしまっているのだが)。

今までの記事は「ですます調」で書いてきたが、日記なので「である調」でやってみようと思う。日記帳にですますで書くのはおかしいので。気づいたら今後の記事も「である」になっていくかもしれない。

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コンポストトイレとは

コンポストトイレとは汚物を水で流してどこか(処理施設や浄化槽)に消し去るのではなくて、自宅の庭先で堆肥化(コンポスト化)することを前提にしたトイレだ。できた堆肥は畑の肥料となって野菜を育てる。収穫した野菜は食卓にのぼり胃袋へ。消化された野菜は排泄されてバケツトイレへ。溜まった屎尿はコンポストで堆肥になるのを待つ。そしてできた堆肥は畑の肥料となって野菜を育てる。。。

これがコンポストトイレを循環型と呼ぶ所以である。

昨今は尿と便は廃棄物として扱われているが、そうではなかった時代まで遡るのに100年もいらない。日本ではそれらを下肥(しもごえ)と呼び、畑の肥料として使ってきた。何しろ畑の土作りに欠かせない窒素分その他が豊富ときている。そんな屎尿は現代では下水から海に流して無駄にしているどころか、水質汚染まで引き起こしている始末。浄水にかかるエネルギーだって馬鹿にならない。

なるほど屎尿はゴミではない。生ゴミもゴミではない。およそ微生物によって分解される有機物でゴミと呼べるものはない。全て堆肥化して土の養分とすることができるからだ。プラスチック時代が到来するまでは全てはゴミではなく資源であった。プラスチック製品も長く使えるものはある。しかし劣化してしまうとどうにもならない。

循環型コンポストトイレを持続可能な方法で作る

昨年、アメリカで持続可能な社会づくりを目指す「パーマカルチャー」を実践する人々に触れる機会を得た。彼らのコミュニティーではコンポストトイレはマストと言っていい。そもそもコンポストに対する愛情が並々ならないのだが、そうなってくるとトイレの汚物をコンポスト化しない訳がない。住宅街だろうがお構いなくバケツトイレを使っている。冒頭で述べたように適切に管理されたコンポストトイレで匂いや虫の問題が起こることはないのだ。

トイレ問題について知れば知るほど、水洗トイレで水を流すたびにコンポストトイレのことがチラつくようになった。早く作らなければなるまい。トイレがもたらす環境へのインパクトは登山をしたり山小屋で働いたこともある僕にとっては馴染みが深かったから尚のことだ。

とりあえず僕が今いる環境では野外にトイレ小屋を作って、そこにバケツトイレを設置する必要がある。コンポスト作りについてはすでに稼働済みだ。これについては追々記事にしたいと思っている。

次にトイレ小屋作りなのだが、ホームセンターで素材を買ってきて、DIYの小屋作りの本でも買って、その説明書通りに作ればそんなに時間をかけずに、かつ強度もある程度補償された小屋が建築できそうなものだが、果たしてそれでいいのかという問いが生まれていた。

資源循環型のコンポストトイレを作るんだから、個人ができる範囲内においてできるだけ循環的な材料や方法をとりたい。

実は小屋作りに関してはここ半年間インターネットなどで情報収拾をしており、それがここにきてまずはトイレ作りという形で実践できることとなったのである。トイレは半畳もあればよいので、初めての建築としては安心感がある。

基礎についての展望

一般的には基礎として大地にコンクリートを流し込むのが当たり前となっている。しかし、僕が死んだあともある種の遺跡のように残ってしまうものを作るのは気がひける。何しろ中山間地域には家は山ほど余っていて、それらは誰も住まずに朽ちるのを待っている。そんな時に新しい建物を作ることすら疑問符が浮かぶのに、しかも後に残る素材で作ることについてはまだ興味が湧いていない。まあ、コンクリートの瓦礫が全く使い物にならないというわけではないけれど。

それにコンクリートを作るにはセメントがいる。そのセメントは石灰岩を原料としている。それは鉱物であり天然素材かもしれないが、山から削り出して得ているものである。例えば埼玉は秩父にある武甲山は石灰岩でできているが、長年の採掘の結果、見るも無残な形になってしまっているのだ。使わないでどうにかなるなら別の方法を模索したい。

そこで、古民家や昔の神社仏閣がそうであったように石(礎石)に建物を置くだけの建築方法が取れないか思案してみた。そのためには上物たる家を重くする必要がある。重い梁に重い屋根。思い付くのは瓦葺きだが素人でうまくできるのだろうか。

さらには建築予定地は丘の上にあり、遮るものもないので、谷を吹き上がる風の影響ををもろに受けてしまう。これはかなりしっかりした建物を作らないと風で吹き飛ばされてしまうかもしれない。ただ建物が壊れるだけなら良いが、周りの人たちに迷惑をかける可能性がある。それはできない。

そこで思いついたのが掘っ立て建築だ。基礎として木の柱を埋める。縄文時代の建物や、伊勢神宮のように。木ならすぐそこにあるじゃあないか。

材料についての展望

そうだ、木ならすぐそこにある。

田舎は資源で溢れている。都会以上に豊かだ。という言葉を何度聞いたかわからない。

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確かにすぐそこに木が生えている。しかも人の手を離れた人工林は荒れ果てて間伐されるのを待っている。しかしそれでも木材はホームセンターや材木屋で買うものとなっているではないか。薪なんかは裏山から取ってくる人は多いだろうが。

確かに建築に使う木材には乾燥が必要だし、角材や板は簡単には作れない。しかしだからと言って木材をホームセンターで買うしかないのだったら、田舎も都会も変わらないではないか。田舎の資源の豊かさはどこに行ったのだ。

床なんかをフラットに作るには板のようなフラットな材が必要だ。しかし柱や土台なんかは別に丸太でもできる。それをほぞ組みで繋ぎ合わせる。角材のように全てが直角と平面になっていなくても、ほぞを組む部分など必要なところだけそれなりに平面になっていれば問題ない。これは古民家の観察から学ぶことが出来た。

木材の乾燥についてはどっちみち待っていられない。ホゾ組みで仕上げるなら建築後に反ったり割れたり形を変えても木材同士が柔軟に保管し合うのではという期待を込める。少なくとも釘で固めるよりしなやかではないだろうか。

かつてはその辺で得られるもので家は作られてきたはずだ。木、土、藁。ならばできる限り地産地消の建築というものに挑戦してみよう。素材はその辺から持ってくる。

どうしても板や角材が必要になったら廃材を使おう。ちょっと待て、板や角材だって時間さえかけて削り出すことはできるだろう。しかしそこまでできるか分からない。幸か不幸か廃材を得られるルートがある。これはまさに田舎の豊かさだ。木材に限らず廃棄物はありがたく使おう。それをゴミとするか否かは扱う人次第だ。

お金を払うのは最後の手段。基本は「あるもので」作ってみたい。

釘、紐、その他はどこかで必要になる気がする。何かいいアイデアを思いついて回避できるものならクールなのだが。流石に釘を作るなんてことはしないはず。

道具はお金を払って良いもの、長く使えるものを買おう。

工法についての展望

その辺で得られるもので小屋を作ると上に書いたが、それはエネルギーについても同じことが言える。

電気の使用は最低限にしたい。原子力にしろ、自然エネルギーにせよ、遠くで作ってはるばる運ばれてくるエネルギーは環境負荷が高い。自家発電も考えていかないといけないのだが、まだ着手できていない。

ガソリンは中東からはるばる運ばれたものであるからやはり最低限にしたい。ここでは環境への影響は割愛するが、排ガスが臭いことには間違いない(主観だろうか?)。しかし車が必要なエリアに住むというジレンマ(郊外型大型店にやられ、ローカル店は元気がない)。

そもそも汚物を遠くに運んで処理するのが無駄だと言っているのだから、資源を遠くから運んでくることも無駄が多いのだ。

今回の建築では歪んだ丸太など正確な寸法を測るのが難しい材を使うので、現場での細かな加工や微調整が必要になることもあり、幸いにも人力道具が調子いい。さらに幸いなのは建築現場には電気が通っていない。これで気兼ねなく人力の道具を使うことができる。というか、僕は人力の道具が好きだ。そもそも機械の音はやかましい。特に長閑な山村にモーターやエンジンの音は似合わない。

この度の建築は置いといて、今後、機械を全く使わないかと言われると分からない。だいたい車には乗っている。しかし、機械に頼らずに一通りの行程を経験すれば、逆にどこで機械を使うべきかもわかってくるのではと思う。そんな期待をこのトイレ作りに寄せてもいる。例えば東京の都心部は車より自転車の方が速いように、必ずしも機械が人力を上回るわけではない。少なくともメンテナンスの時間は人力道具の方がかからない。少し体力が必要なくらいだ。

一方、自家発電を利用した電気道具の利用は模索して行きたいところ。充電式の道具は自家発電との相性が良いと思う。インパクトや丸ノコとか。今回は使うつもりはないけれど。

設計についての展望

イメージはある、が、設計図はない。なんとなくスケッチブックに起こした絵があるくらい。

建築開始の段階で材料も全て揃っているわけではない。やりながら調達して行こうと思っている。やれば必要なものがわかるはずだ。そもそも伐採した丸太や廃材だと必ずしも求めているシェイプの材があるとは限らない。一期一会の材。工夫が必要だ。

そして屋根や壁をどのように作るかもまだフィックスしていない。しかしもう建築は始まっている。どこかでいいアイデアが舞い込むことを期待しつつ。

最後に

この度の小屋作りだが、そもそも上手くいくかすら分からない。初めての小屋作り。素人なりに考えながら作業することになる。

膨大な時間をかけた挙句に失敗に終わる可能性を常に孕んでいるのだ。

何しろ全てのパーツを切り出してから組み立てるのではなく、一つ一つパーツを組み上げながら形取っていくつもりだからだ。固定したパーツにホゾ穴を切る工程も予定している。失敗は許されない。

つまり、この(不定期)連載が急に終わる可能性もある。完成に至らずに。

しかし仮に失敗しても小屋作りに関してはもちろん、トイレや資源についてのちょっとしたインスピレーションを掻き立てることができるのではないかと思う。少なくともこのような小屋の作り方を説明したサイトは見つかっていない。

一つのチャレンジだ。

この小屋作りのもう一つのポイントは自給自足だ。畑を耕したり、動物を狩猟したり、オフグリッド化して電気や水を作るなど、自分たちの分け前を「生産」することだけが自給自足じゃない。下水道やゴミなどを「処理」することだって行政に頼らずに自給できるのだということ。

結果それはエコロジカルだし、災害などでインフラがストップしたとしても生きていけるセーフティーネットになる。いざという時に、電気にもガソリンにも頼らずに生きていける能力を養う必要があるのは、災害大国日本に生まれ育ったものならわかっているはずだ。

さて、気づけば文字数が5000字を超えてしまったので、小屋作りの序文はこのあたりで終わるとして、次回以降は実践レポートをアップして行きたいと思う。

最後に、自給自足の観点から言うと、かつては家だって自給するのが当たり前だったはずだ。プロしか作れない家ならプロしか直せないこともあろうが、素人が作れる家は、素人で直していけるだろう。このトイレを無事完成させることができれば、次は家を作るかも知れない。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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