走りはじめたキッカケは鹿と『Born To Run』

前回の記事では僕が山を中心に歩くようになった経緯を書かせていただきましたが、「ああ、これは走らなくてはならない」と思ったのもそんな山の中を歩いている時だったんです。

『ダルマ・バムズ』を読んだら山を歩かないわけにはいかなくなった

あれは確か東京は奥多摩のトレイルを歩いている時だったと記憶しています。僕はその夏に南アルプスから入って日本海まで抜けるルートを計画していて、その調整と予行練習も兼ねて近場でもあるしまだ本格的に歩いたことのなかった奥多摩~奥秩父のルートを選びました。

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奥多摩~奥秩父を12日かけて往復

青梅線で奥多摩駅から歩くのが奥多摩縦走の定番ですが、それでは物足りないので、少し手前の御嶽駅で下車して、川苔山経由で長沢背稜に沿って雲取山へ、そして奥秩父縦走路に入って、甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山へ、そこから踵を返し、小川山や千曲川源流を伝って十文字山を経由したりと、できるだけ違うトレイルを通りながら奥多摩に戻り、最後は定番の石尾根に沿って奥多摩駅にたどり着いて温泉を引っ掛けた12日間でした。

2週間近くもあると当然荷物の中は食べ物で溢れることになります。服部さんのようにサバイバル登山が出来る能力はないし、歩くことをテーマにしていたので狩猟採集に時間を割くでもないし。多分、基本的な縦走登山者よりも「しょうもないもの」を食べていたので(夕食は安い袋麺に各種乾物、昼食が柿の種だけだったりした)、行程の割には荷物は軽めなんだと思うし、言うても21世紀の装備なので超重量級にはなり得ない。それでも20kg近い重りを背負うことになります。

ヘビーな荷物を背負うということ

誤解のないように言いますと、ヘビーなバックパックを背負うことは悪いことばかりではありません。朝がどんなに早くても、寒さでテントから這い出るのが大変な時でも、どんなに疲れが溜まっていても、肩に食い込んだバックパックときつく閉められたウエストストラップは脳内を大量のアドレナリンで埋め尽くし、担いだ重さに呼応するように体が軽くなるのを感じるものだからです(個人差あり)。前に出す足の一歩一歩にズシリと乗っかってくる重みも、かけがえのない充足感と心地よい筋肉疲労を呼んでくれる、とても大事な要素と言えます。

しかし重いものは重く、動きや行動もそれに合わせたものとなるのもまた事実。岩場を進む時などは特に、両手両足でゆっくりと確実な移動を要求されますし、行動範囲だって荷重と自らの体力の相談の範疇でしか事が進みません。それでもスピードを上げてしまうものだから次の朝にはバキバキの体と共に起床する羽目になったりするのですが。

きっかけは鹿

そんなこんなでヨチヨチと奥多摩周辺を歩いて10日目くらいの事だったと思います。「ぴーっ」という甲高い鳴き声とともに鹿が谷に向かって駆け出していくのが目に入ったのです。「ドドドドっ」と勢いよく駆け下りるその姿に一点の曇りはなく、まるで平坦な舗装路を走るがごとく、しかし斜面に合わせて体を少し前傾させただけの美しいフォームで駆け下りていきました。そういえばそのちょっと前に滞在していた屋久島の屋久猿たちもまさにそんなような走りを見せてくれました。

次に思い出したのはネパールのソロクンブ地方、ローカルなエベレスト街道を歩いていた時のこと。一般的なハイカーは空港のあるルクラまで飛行機で移動してしまうので、その手前の部分の街道は観光地っぽさが薄く、そこに暮らす山岳民族のシェルパ族の人たちの自然な暮らしを垣間見ることができます。そんなローカルな街道で、確かに急で足場の悪い斜面を手の支えも借りながら登っていた時と思うのですが、目の前に突如現れたシェルパ族の少年はスピードを緩めることもなく、裸足にビーチサンダルを履いただけの格好でその斜面を駆け下りていったのです。

(シェルパ族とはチベット系の山岳民族で、エベレスト登山のガイドやポーターとして数々の遠征を支えている)

鹿、猿、シェルパの少年。彼らの踏み出す一歩にはなんの疑いも感じられませんでした。僕はそれが出来ているだろうか?少なくとも僕は大きな荷物を背負ってよちよちと奥多摩を歩いている。

「この後アルプスを歩き切ったら本格的に走り始めるぞ」

そう決めて僕は里に降り、東京の雑踏に戻っていきました。

『Born to Tun』との運命的出会い

そしてその本はまた兄の本棚にありました。僕を歩かせたのも兄の本棚にあったのだから、兄が僕を歩かせて、走らせたといってもあながち間違ってはいないのでしょう。その本は世界中でベストセラーとなり、新たなランナーを生み出し続けているクリストファー・マクドゥーガルの『Born To Run 走るために生まれた』でした。

そして表紙を開くや無我夢中で読み耽りました。

メキシコのマラソン民族、世界最強のヴィーガンランナー、スポットライトに背を向けたボクサー、裸足で走る饒舌家、ビートポエトリーに乗せて走る破天荒カップル(この二人は奇しくも僕を歩かせた一冊、ジャック・ケルアックのダルマ・バムズの影響でトレイルランニングの世界に入っている)、走っては年中怪我だらけの著者。

登場人物だけでも魅力的な面々が揃っていて、彼らのストーリーに織り込まれるようにメキシコはコッパーキャニオンの先住民タラウマラ・インディアンやランニングにまつわるストーリーが紡がれていて、気がつけば物語の中に引き込まれていっているのに気づきます。目から鱗のランニング理論もさることながら、魅力的なこれら登場人物は皆、優れたランナーであるということが、ランニングの素晴らしさを読者に伝えるのに重要な要素であることは疑いようがありません。

改めて本の帯に書いてある文章を読むだけでこの本の魅力が伝わってきて、かつ走りたくなってくるので、それをそっくりそのまま引用してみたいと思います。

ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

人間は走る足である!!前代未聞、今世紀No.1のブッチギリ本!「この本を読むために生まれてきた」といっていいくらいの超お薦めです。水道橋博士(浅草キッド)絶賛!

全米20万人の走りを変えた、ニューヨークタイムズ・ベストセラー

本当のRUNはタラウマラ族が知っている!

毎年、全ランナーの65%から80%が足を故障する。いかにシューズがハイテクになろうとも、それを履けば故障しにくくなることを確かな証拠で示した研究は一つもない。

痛ましい真実その1
最高のシューズは最悪である
最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーよりもけがをする確率が123%も大きい。

痛ましい真実その2
足はこき使われるのが好き
履き古されたシューズのほうが、新品よりも足への衝撃が少ない。

痛ましい真実その3
アラン・ウェップでさえ、
「人間は靴なしで走るようにできている」と言う
「シューズを履くのは、足にギプスをはめるようなものだ」

その秘密を求めて、メキシコの秘境へ!

メキシコの秘境を彷徨う謎の白馬、
現代社会と隔絶して暮らす”走る民族”、
素足で峡谷を走り抜けるベアフット・ランナー、
数時間走り続けて獲物を狩る現代のランニングマン、
過酷な地形を24時間走り続けるウルトラランナーたち、
そして、世界が見逃した史上最高のウルトラレース……」

ニューヨーク・タイムズで32週連続ランクイン中!
amazon.comユーザー評価で297人が5つ星をつけた、
「読めば走りたくなる」と話題のロングラン・ベストセラー、遂に邦訳!No Running, No Life!」

ね?走りたくなってきませんか?

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この本が僕に教えてくれた3つの宝物

『Born to Run』を読む事で中高生時代の陸上部時代のことや、山小屋時代など、僕が走っていた時のことを思い出す事ができた。その時にこの本があったらもっと素晴らしいランニングライフを送れたに違いありません。この本は僕に3つの宝物を教えてくれました。それは

1.裸足ないし裸足に準ずるフットウェアを履いて、かかとのサポートから解放されることによって、体の真下で足の中足部やつま先で着地する本来のランニングフォームを取り戻すことができる、それによって怪我と無縁に長距離を走り抜けることができること、

2.車輪の乗り物のために舗装されたアスファルト上ではなく、足に優しいふかふかのトレイルを走る喜びと(ボクシングのグローブをはめてアスファルトと土を殴り続けるののどちらが心地よいか想像すると良いと思います)、飽きの来ない起伏に富んだ地形をダンスするように走る喜びを教えてくれたこと、

3.人間は長時間にわたって長距離を走り続けられるように進化してきたのではないかという考察。動物はそれぞれ肉体的に優れた要素を持っていて、人間にそれがないと言うのはおかしな話。人間は直立二足歩行を編み出したことで、最強の長距離ランナーとなったのだと言うこと(この話題についてはまた改めて考察したいと思います)

でした。

槍ヶ岳周辺の地下足袋ラン

そういえば槍ヶ岳の山小屋で働いてその周囲を歩いている時、一緒に働いていた先輩のススメ&真似をして薄っぺらい地下足袋で周囲のトレイルを走っていたのですが、それが最高に気持ちよかったのです。その時はそういえば靴下も履いていなかった。

最初は森林限界を超えた岩だらけのトレイルで登山靴が消耗するもの勿体無いから安い地下足袋で節約することと、走ることで限られた休憩時間の間にできるだけ遠くに行くことが目的だったのですが、その二つを凌駕する喜びを地下足袋でのランニングは教えてくれていたのです。ゴロゴロした岩の上もスッテプを刻みつつ激走していたので気づけば足の裏は象の皮のように硬くなり、形も変わっていって、我ながら人間の順応する力に驚いたものです。

その時はトレイルランとか、ベアフットランニングとか、つま先着地とか、高地トレーニングとか、そんなことはどうでもよくただただ楽しく走っていました。中高を陸上部で過ごした僕としてもそう何度と経験したことのない楽しみを、日々のランニングから得ていたのです。思い返してみるとそれまでの楽しかったランといえば、荒川の河川敷や、カリフォルニアの遊歩道を走っている時で、少なくとも陸上トラックをぐるぐる走っている時ではありませんでした。山や自然の中を走ることは、周回コースとかラップタイムとかそんなものとは無縁の純粋なものだったのです。

山を走るのはルール違反か?

山で走るなとはよく言われることで、それも一理はあります。乱暴な走り方をすればトレイルはボロボロになりますし、落石を誘発するリスクだってあるからです。

実際僕が山で遭遇したトレイルランナーの多くはすれ違いざまにスピードを落とさないで無言で通り過ぎて行く人も多いのが現状です。落石や転倒の恐れのある下り坂でもその有様だから困ったもので、嫌われるのも無理はないのかもしれません。下りでスピードに乗る時は走るにしろ歩くにしろ爽快なものですが、周囲を見渡す余裕も欲しいもの。

トレイルへのダメージについては経験上ヘビーな荷物を背負って、硬い登山ブーツを履いてガシガシ歩いているのもそれなりだと思いますので、軽快な荷物の足軽トレイルランナーと大差がないようにも思います。だから結局のところは山を歩こうが走ろうが、山へのインパクトは個々人のエチケットに任せるしかないのではないでしょうか?

(しかし僕が出場したトレイルランのレースにて、雨の影響もあり急な山岳の下り坂がドロドロに荒れていた様子には閉口してしまいました。それはさながら滑り台のように変貌してしまっていたので、コースの設定には注意を払う必要があります。トレランがブームだからといって安易にレースにすべきではないとも思います。しかしその点に注意を払えば地元の人たちと密につながる地域おこしイベントとして、とても有効なものとなるはずです)

走ることと歩くことに違いはあるのか?

しかしやっぱり山を走るのは楽しい。山との一体感はさることながら、足裏に伝わるトレイルの感覚、コンクリートと違って優しく足を包む大地、木々の間を縫うように進む疾走感、歩きだと数日分の行程でも1日で走破することができる行動力、持ち物が軽くシンプルになる故の山とのむき出しの親密感。

そして山を走っているとすぐに気づいたのは、「なんだ走ることと歩くことは対して変わらないな」と言うことです。そもそもトレランと言っても延々と続く上り坂ではどうしても歩いてしまうし、荷物をたくさん背負った登山でも気持ちの良い下り坂は早足~走りになってきます。

だから僕にとっては、走ることも歩くこともどちらも一つの「直立二足歩行による移動の手段」となりました。競歩のルールにあるように両足が同時に地面から離れていないのが「歩き」なのかもしれませんが、そんなことはどうでもよくて、僕にとってはただのスピードの違いくらいでしかなくなったのです。なぜならそこに宿る精神性と、移動のための手段であることは共通するからです。

でも文章上はわかりづらいので、ちゃんと歩きは歩き、走りは走りと呼ぶようにします。

ロードを山のように走る

山を走ることを覚えると、今までは単調に思えたロードランに対する意識も変わってきました。まずは家の周囲で土の上を走れるところを探し出します。探してみると遊歩道や公園、トレイルなどは案外あるもので、それらをランニングルートに組み込むようになりました(かえって東京のような都会の方が公園や遊歩道は多いです)。

そして何かの用事があれば走って行くようになりました。例えばスーパーや図書館に行くのもランニングルートに入れてしまえば、必要にまかせつつもランの距離を伸ばしていくことができ、自然にランニングによる行動半径が広くなっていきました。東京在住時にウェアやシューズを見に行く時などは電車でお店に向かって、家までの帰路を走って帰ったりもしていました。汗だくで試着するわけにはいきませんからね。

バカみたいな話ですが、縁石などの道路上の起伏が愛すべき障害物のように見えるようになり、コンクリートジャングルにおけるそう言った「地形」に飛び乗ったり、飛び越えたりするようになりました。スケートボードやスノーボードのトリックで地形に「当て込む」ように、ランニングでも同じことをするようになり、ただまっすぐ進むだけじゃない楽しみを覚えました。

2度のレース出場からその後

そうしてフルマラソンと80kmのトレイルランをそれぞれ一回づつレースに参加してからというもの、少し走りから遠ざかってしまい、それから2年半が経過しました(2018年1月現在)。

トレランレースの後の冬はバックカントリスノーボードのためにスノーシューでパウダーの斜面を登りまくっていたのもあって鍛えられていたのはあるのでしょうが、その最後のレースから一年ほとんど走っていない状況にも関わらず、久しぶりにいきなり20kmオーバーを走ってみても体力的に余裕たっぷりだったのには驚いたものです。

しかしそれからデスクワークの日々が続き、それに伴う飲酒量の増加によって(それまではほとんど飲んでいなかったのですが。。。デスクワーク漬けの生活とお酒を飲む量には相関関係があるのではと思っています。あくまで個人的な経験ですが)、たまに走った時の体の動きが落ちているのを感じていました。

最後のレースから1年半、2年、2と1/4年と経つうちに加速度的にパフォーマンスが落ちていってしまったのです。そしてそれに合わせるように10代の時にひどかった鼻炎の症状が出始めてきたり、お腹の調子が悪くなったり、ストレスがたまったり、人間としてのクオリティが落ちているのを感じました。

そして2017年の年末くらいから僕は再び走れる環境に戻って、体がランナーへと仕上がっていくプロセスを今まさに追体験しています。鼻の状態もよくなってきたし、お腹の調子も絶好調になってきました(腸内環境が良くなって腸内細菌が増えたのでしょう、便の量が増えてきたのと、トイレットペーパーの使用量が減ってきました)。何しろ気分が総じていい状態に保たれています。今年はレースにもいくつか出場しようと思っていますので、その準備などもここでご紹介していきたいと思っています。

それでは最後に『Born To Run』に引用されているケルアックの『ダルマ・バムズ』の一節を孫引きさせてもらいます。なんだかんだ講釈を重ねても、走るとか歩くとかの魅力は結局これに尽きるのではないかと思うからです。

トレイルの瞑想をやってみろ、ただ足ものとトレイルを見ながら歩いてわき目はふらず、すぎて行く地面に、ただ無我の境地にはいるんだ

  

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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