2019年初ロードキルは瀕死のイノシシだった。さてどうしたものか・・・

暗がりの家路を車で走る。道路脇の温度計はマイナス二度を指している。時々除雪車によって歩道に寄せられた雪の塊から日中のうちに溶け出した水分が路面で黒く光っている。凍結している恐れもある。張り詰めたテンションで暗がりを突き刺すヘッドライトの方向を見やっていると、おお、動物が倒れている。

慌ててハンドルを切って右に大きく避ける。ああ、瓜の模様はなくなっているけれどまだ小さなイノシシだ。あれ、まだ動いているじゃないか。すぐ前方に車を寄せて僕はイノシシの方にかけて行った。

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多分、コイツを轢いた車は驚いてブレーキを踏んで、それなりに減速してぶつかったのだろう。足を悪くして立ち上がれなくなっていたが、別に出血しているわけではなかった。体長50cmくらい

僕も何度かロードキル(動物の礫死体)を持って帰って食べて供養してはいるけれど、コイツが今後も野生で元気にやっていけるのならその方がいい。別に今までも拾ってラッキーとも思わないし、食べるために動物をわざわざ轢いてやろうとは思わない。

だから「おい、頑張れ、立ってみろ」と足で小突いてみたのだけれど、ジタバタするのみである。このとき間違っても動物愛護心を発揮して素手で抱きかかえるなんてことをしてはいけない。いくら冬の氷点下といえども、野生動物には大量のダニがついているのを覚えておいた方がいい。事切れていてもダニはついている。

動物の轢死体を発見した場合の国土交通省の専用ダイヤルは#9910で24時間対応しているけれど、まだコイツは生きている。このままだとそのうち引かれて死んでしまうので、どっか茂みにそっとしてやっても良いのだが、もし内臓に相当のダメージがあるとしたら、そのうち死んでしまうだろう。

それこそ行政に回収されたって燃えるゴミになるだけなので、やっぱり僕が持って帰ることにした。新聞紙を大きく開いて包むようにして持ち上げる。生きてはいるけれどだいぶ弱っているからそんなにジタバタしない。その状態でダンボール箱に入れて、車に乗せてやった。運転中は静かだった。

家に着いたがこの日は疲れていたので、このイノシシを安全なところにおいて、翌日に然るべき処理をすることにした。なんとか逃げ出して行くならそれで良い。そのくらいの元気があればやっていけるだろう。ちなみに安全な場所というのは、我が家の犬たちの手の届かぬところである。奴らに見つかったらヤラレテしまう。

翌朝、ちょっと寝坊した朝にその安全な場所に行ってみると、おお、いない。と思ったらわずか1mほど離れたところでもがいていた。やっぱりダメか。もう苦しみはこれくらいでいいから楽にしてやることにした。

以前、半死半生のタヌキの止め刺しをした時には、あまりにぐったりしていたのに、ナイフを突きつけた途端に暴れだしたしまった失敗がある。楽に死なせてやりたかったのに。

そんな前回の失敗から学んだのは、最初に殴って気絶させることである。薪棚に掴みやすいサイズの栗の木があったのでそれを持ってイノシシに近づく。

ああ、コイツ可愛いな。

残念ながら動物というものは可愛いのである。以前のタヌキの時も思ったが、可愛い。これは疑いようがない。こんなこと誰も考えたくないだろうけど、問題提起させてもらうと、我が家の犬や猫と同じくらい可愛い。だからこれも疑いようがないのだが、スーパーに並んでいる牛、豚、鳥たちも例外なく可愛いに決まっている。

しばらくの間殴るのを躊躇して、二、三回深呼吸をして。ふーっ。と落ち着いたところで、ポカンと一撃脳天に振り下ろした。するとあっけなく気絶した。死ぬんじゃなくて気絶なのが大事で、心臓が動いていないと十分に血を抜くことができない。

そして横になったイノシシの首元を触って頚動脈を見定めてブスリ。包丁を一思いに突き刺すと、血が一気に噴き出してものの5秒くらいで息を引き取ってくれた。すぐに終わってよかった、ありがとう。

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近頃、道端や我が家の敷地で拾った動物の死骸は全部犬たちのご飯にしていたが、今回は新鮮だから人間も食べることにしよう。なのでいつもより丁寧に捌く。犬にやるなら丁寧に捌かなくても全部綺麗にするから。

もう何匹か捌いているから慣れたというのもあるのかもしれないけれど、心臓止まったらもうスーパーの肉とあんまり変わらないね。皮を剥いだらもっと変わらないし、部位ごとに分けたら完璧食肉である。さっきまで可愛いと思っていたけど、死んだら食肉である。

食肉になったら野菜を切っているのともはや変わらなくなってくる。肉と野菜を隔てるのは声を出せるか出せないかなのかもしれない。野菜の方が収穫後も生きているのだから、野菜に最初の包丁を入れる方が、食肉を切るより緊張感があるかもしれない。結局声を発せれるかどうかが良心の呵責を産むのだとしたら、そんな良心は良心と呼ぶべきかどうか。

こんなことを考えながら捌いていたのだが、僕はヴィーガンの人が言う植物と動物の命の違いがよくわからない。

僕にとってはどちらも掛け替えのない命である。むしろ野菜の方が畑を開墾するなどした時にそこにいる生態系をかなり破壊するわけだから(土を耕して虫たちの巣をひっくり返したときは本当に凹む)、よっぽど狩猟している方が殺戮が少ないのではと思う。そう思いながら畑をやってもいる。

かと言って僕が肉を食べるのは貰ったときか、振る舞われたときか、たまの外食か(日本で外食で肉魚を食べないのは難しい。田舎は特に。)、あとは拾ってくるかくらいなもので、スーパーの肉とほとんど縁を切ってからもう長い。普段はごくたまに卵と乳製品を食べる以外は野菜ばかりだ。肉は美味しいと思うからジビエは喜んで食べるが、畜産業に関しては僕的には肯定的な要素を見つけられないのでできるだけ関わらないようにしている。

今回のイノシシの内臓は犬たちのご飯にすることにした。でも後になって後悔した。犬のご飯がめちゃくちゃ美味しそうだった。どうも内臓への損傷はさほど無いように見えた。足二本に内出血があったが、大した怪我ではなかったのかもしれない。その部分も犬ご飯にした。

犬がいると獣肉はまさに捨てるところがない。骨という骨も全て食べるし。頭も丸ごと食べる。ただ、彼らは生のままでは食べないからうちではご飯と一緒に炊いてやっている。大腸はフンが詰まっているからどうしようかと悩むが、どうも悩むのがバカらしいようで、これは生のままあっという間に平らげる。知らない人には衝撃的なのかもしれないが、犬はウンコが好きである。

イノシシの皮はなめしたことがないし、今まではタヌキの毛皮=ファーだったけど、今回は毛を取り除いて革=レザーに挑戦することにした。皮の表皮から余分な油を「それなりに」取り除く(徹底的にやるとものすごい時間がかかってものすごい疲れる)。そして毛を取りやすくするために、石灰と塩を溶かした水に1週間ほどつけておくようだが、たまたまうちには海水があったので、それに囲炉裏の木灰を入れて代用することにした。

しかし、しばらくして気づくとそのイノシシの皮は犬に盗まれてどっかに行ってしまった。くそう、どうせ毛は食べないくせに。まあ僕も肉を堪能したし、犬たちも喜んで食べていたからまあこれで十分だ。

とまあ、僕としては持って帰って食べるがこのようなケースでの最善の選択肢だったわけだ。が、一般的にはこんなことする人いないだろう。大概の人が避けて終わりで、電話もしないんだと思う。いや、そんな専用ダイヤルがあるなんて知っている人の方が少ないはず。そしてコイツは通りすがる車の危険に晒され続けたのだろう。

野生に干渉しないで放っておくのも手だったのだろうが、交通事故という形ですでに干渉してしまっていたわけだし、放っておいて、再び車にはねられて、最後は回収されて燃えるゴミというのだけは避けてやりたかった。なんとか復活するか、茂みで最後を遂げていろんな動物たちの栄養になるのがベストかもしれないが、僕がとった行動は現在の僕の考えではベターな選択肢だったと思っている。

このテーマはもっと議論されるべきなんだと思うけど、ほとんどタブー扱いなんだろうね。

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百姓2.0/自給リスト(自足に限らず);野菜、米、塩、味噌、建築、トイレ、経済、国家、獣肉(拾い物)、書籍、映像、音楽 etc /自著『旅をふりかえる旅』https://amzn.to/2Wb1mNs、『下らない生き方』https://amzn.to/2ZEjgKf /
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